いまでも高い人気を誇る、第二世代の日産「スカイラインGT-R」。なかでも1995年に登場したR33型は不人気だったといわれていますが、それは一体なぜなのでしょうか。
■ポテンシャルは高いのに不人気の烙印を押されたR33型スカイラインGT-R
16年ぶりの日産「スカイラインGT-R」復活ということで、当時の自動車メディアからも大きく注目を集めたR32型スカイラインGT-R。モータースポーツでも圧倒的な強さを発揮し、名実ともに国産車で最強の1台に上り詰めました。
そして1993年8月には、「スカイライン」が9世代目となるR33型へフルモデルチェンジを果たします。
この9代目スカイラインをベースとするGT-Rを期待するファンに応えるかのように、同年秋に開催された第30回東京モーターショーでは、早くもプロトタイプが参考出品されました。
このプロトタイプは市販モデルに比べると、R32風のフロントバンパーやラジエターグリル、アルミホイールなどの意匠が異なるほか、フロント周りにはGT-Rのエンブレムが備わらないなど、市販モデルとかなり印象が違って見えます。
東京モーターショーでプロトタイプが参考出品されたことで、すぐに発売されると思われていたR33型スカイラインGT-Rでしたが、実際の発売はR33型スカイラインが登場してからおよそ1年半後の1995年1月のこと。その発表の場として選ばれたのは、チューニングカーの祭典としても知られる東京オートサロンでした。
いまでこそ、東京オートサロンで新型車が発表されることは珍しくありませんが、自動車メーカーが正式に出展したのはこのときの日産が史上初です。
すでにチューニングベースとしても高い人気を誇っていた第2世代GT-Rだからこその発表の場だったともいえますが、このときの日産の英断がなければ、昨今のような東京オートサロンの盛況はなかったかもしれません。
ようやく登場したR33型スカイラインGT-Rは、「マイナス21秒ロマン」というキャッチコピーを使用していましたが、これはニュルブルクリンクでのテストドライブでプロトタイプが叩き出したタイムが、先代モデルよりも21秒も速いタイムの7分59秒887だったことに由来します。
このように先代を上回る高いポテンシャルを持ち合わせていたR33型スカイラインGT-Rでしたが、一部で大きくなったボディサイズや延長されたホイールベースを指してスポーツ性が薄れたと評する人も少なくありませんでした。
メカニズム的には搭載されるエンジンは先代と同じくRB26DETT型ですが、各部の改良によってトルクアップを実現し(パワーは引き続き自主規制値いっぱいの280PS)、ブレーキもブレンボ製のブレーキキャリパーが全車標準装備になるなど、着実な進化を果たしていました。
■レース参戦記念車や4ドアボディも登場!
R33型スカイラインGT-Rは、1995年にル・マン24時間耐久レースのGTクラス参戦を試みます。さすがに市販車ベースでは勝算が薄いということで、専用のGTマシンNISMO GT-R LMを制作し、レギュレーションをクリアするために1台のみロードカーが制作されイギリスでナンバーを取得。
このモデルは市販されませんでしたが、1996年にはル・マン24時間レース参戦記念としてLMリミテッドを期間限定で販売しています。
1997年10月にはスカイライン生誕40周年を記念して「スカイラインGT-Rオーテックバージョン」が発表されました(発売は1998年1月)。
これは初代スカイラインGT-Rをリスペクトした、4ドアボディを持つR33型スカイラインGT-Rであり、その名の通りオーテックジャパンが手掛けました。
4ドアということで、セダンをベースにGT-Rのコンポーネントを移植したものと思われがちですが、この車両の型式は「BCNR33改」であり、2ドアのGT-Rを4ドア化したものです。
埼玉県警や神奈川県警にも納入され、神奈川県警のパトカーは現在でもイベントなどでその姿を見ることができます。
現役当時は不人気車の烙印を押された感のあるR33型スカイラインGT-Rですが、最近ではGT-R自体の価値が上昇していることもあってか、昔のように格安物件が出てくるようなことはなくなってきました。
とくに2020年からはアメリカの25年ルールに該当する年式となったことで、一気に相場が跳ね上がる可能性もありそうです。本気で欲しい人は、早めに動いた方がいいでしょう。