ラリーシーンを席巻したランチア「デルタ」のなかでも、ブリスターフェンダーのボディをまとった「デルタHFインテグラーレ」は、日本でも非常に人気のあるモデルだが、レストアを施されたバリ物はオークションでどれくらいの落札価格なのだろうか。
■ジウジアーロが手掛けたWRCカー
1979年に誕生したランチア「デルタ」は、当時最強のライバルであったVW「ゴルフ」と同様に、イタル・デザインのジョルジョット・ジウジアーロのデザインによる直線を基調とした端正な5ドアボディを持つモデルだった。
同じフィアット・グループからは、ひと足先に「リトモ」が市場へと投じられていたが、デルタの持つ高級感はカスタマーから非常に高い人気を得ることになった。
だがランチア・デルタの名前を世界的に轟かせる直接的な理由となったのは、5ドアハッチバックとしての高級感や機能性ばかりではなかった。
ランチアはデルタを発売すると、それまでと同様にそれをモータースポーツの世界へと参戦させることを計画。選択されたのはもちろん、当時グループBの車両規定で競われていた、WRC(世界ラリー選手権)だった。
ラリー選手権にエントリーしたデルタ、すなわち「デルタS4」は、市販車とはデザインもメカニズムも直接の関連性はなかった。
しかし、1987年シーズンからそれに代わってスタートしたグループA車両によるWRCは、より市販車に近い仕様での競技ということになり、さらにセールスに直接影響を及ぼすことになった。
ここで誕生したのが、デルタ・ベースの競技車両「HF 4WD」である。
続く1988年の「HFインテグラーレ」では、ブリスターフェンダーが装備されるとともにエンジンもさらに強化され、1989年の「HFインテグラーレ16V」では搭載される2リッター直列4気筒エンジンも16バルブ化されている。
WRCにおけるデルタの強さは、まさに圧倒的なものだった。1992年には前年に5年連続でタイトルを獲得したことを受けて、「インテグラーレ5」を、翌1993年には「インテグラーレ6」が限定販売されている。
■1000万円オーバーで落札されたデルタは、どんな個体だった?
今回RMサザビーズの「ザ・ヨーロピアン・セール・フューチャリング・ザ・プティ・ジャン・コレクション」に出品されたのは、1993年に限定販売された「ジアッラ・ジネストラ」である。
220台が限定販売され、150台がイタリアへ、50台がドイツへ、そして20台がフランスへとデリバリーされた記録が残されている。
新型コロナウイルスの影響で、オンラインでのオークションとなってしまったのは残念だが、この出品車のコンディションは画像やモニターからも十分に伝わってくるものだった。
ランチアの記録によれば、出品されたデルタの実際のデリバリーは1993年の11月のようだ。当時ドイツにデリバリーされた1台で、ファースト・オーナーはベルリンに、さらにウォルフスブルグのオーナーを経て、一度はオーストリアに渡っている。
しかしわずか3か月でドイツへと戻ると、プティ・ジャン氏の所有するところとなり、2017年にはヨーロッパでも有名なランチアのレストア・ガレージ、カールフォーファー社でフルレストアの作業を受けている。
エンジン、ドライブトレイン、防錆処理を施したアンダーボディ、ニュー・スプリングやブッシュ類を使用したサスペンション、エレクトリック・システム、エンジンベイやボディーワーク、そしてインテリアと、徹底して手が加えられている。
さらにトリノのランチア・クラシケへと車両を持ち込み、サティフィカート・ディ・オリジン(オリジナル車両であることのメーカー公認の証明書)も取得済だ。
レストアにかかった費用は、トータルで2万5000ユーロ(約300万円)とされるが、これはベースモデルのコンディションが良好であったことも、ひとつの理由であるとも考えられる。
今回のオークションでは注目度の高かった、このランチア・デルタ・ジアッラ・ジネストラの注目の落札価格は、8万9100ユーロ(約1069万円)という結果だった。
日本でも人気の高いデルタの限定車。その世界的な相場は、まだまだ上がりそうな気配が濃厚だ。