現在、販売されている高性能モデルは、高度な制御をおこなう電子デバイスを搭載することで、安全性が飛躍的に向上しています。一方で、メーカー間で高性能化を争っていた1980年代に登場したモデルは、危うい部分が残っていました。そこで、荒削りだった頃の高性能車を3車種ピックアップして紹介します。
■危うさが残っていた頃の高性能車を振り返る
日産「GT-R」やトヨタ「スープラ」、ホンダ「シビックタイプR」など、最新の超高性能モデルでは、出力の増大とともに高度に電子制御化されたデバイスの搭載や、高いシャシ性能によって、安全性が保たれています。
一方で、メーカー間でパワー競争や、高性能化にしのぎを削っていた1980年代に登場したモデルでは、パワーのみを重視していたり、シャシ性能が未熟なクルマも存在。
そこで、まだ荒削りだった頃の高性能車を3車種ピックアップして紹介します。
●三菱「スタリオン」
三菱は1980年代に、軽自動車からスペシャリティカーまで、ターボ車のフルラインナップ化と同時に、高性能車の開発を進めました。そして、欧米のスポーツカー市場へ参入することを目的とし、1982年に「スタリオン」を発売。
直線基調ながらスポーツカーらしいウエッジシェイプ(クサビ型)のフォルムは斬新かつスタイリッシュで、ハイパワーなエンジンを搭載したことから北米で人気となり、ポルシェ「924ターボ」のライバルと評されたほどです。
国内仕様で発売当初に搭載されたエンジンは2リッター直列4気筒SOHCのターボと自然吸気で、ターボモデルでは最高出力145馬力(グロス、以下同様)を発揮。
しかし、ライバル各社とのパワー競争により、1983年には同エンジンにインタークーラーが装着され、175馬力にパワーアップ。
さらに、1984年には最高出力200馬力まで向上した「GSR-V」が登場しました。GSR-Vに搭載されたエンジンは新開発のSOHCシリンダーヘッドが装着され、吸気バルブを2バルブと1バルブに切り替えつつ、リフト量とタイミングも変わる、日本初の可変バブルタイミングリフト機構を採用。
これにより低回転域のトルクアップと、高回転域の出力アップを両立することに成功しました。
そして、1987年には輸出用のブリスターフェンダーボディにGSR-Vと同じ2リッターエンジンを搭載した限定車「GSR-VR」を発売し、1988年には、これに175馬力(ネット)の2.6リッターターボエンジンを搭載したカタログモデルのGSR-VRが登場します。
こうして高出力化が進んだスタリオンですがシャシの基本設計の古さが否めず、ブレーキ性能もエンジンのパワーに追いつかなくなり、ハイグリップなタイヤにシャシが負けてしまいました。
ステアリング機構も前時代的なボールナットのままで、クイックなハンドリングとはいえず、新開発されたライバルの走りには及ばなくなります。
結果、1990年に新世代の4WDスポーツカーである「GTO」のデビューとともに、販売を終了。スタリオンは当時としては8年という異例のロングセラーでした。
●トヨタ「MR2」
1984年に国産量産乗用車初のミッドシップ車としてトヨタ初代「MR2」が誕生。当時は運輸省(現在の国土交通省)の認可のため、あまりスポーツ色を強めず、「ミッドシップランナバウト」のキャッチコピーが使われました。
上位グレードは「AE86型 カローラレビン/スプリンタートレノ」で実績があった、高回転型の1.6リッター直列4気筒DOHCエンジン「4A-GEU型」をベースとした、横置きの「4A-GELU型」を搭載。
最高出力はAE86型と同じ130馬力を発揮し、軽量な車体と相まって十分な加速性能を誇りました。
一方で、当時のトヨタはミッドシップカーのノウハウは十分とはいえず、なるべくリアタイヤの滑り出しが急激にならないように、比較的マイルドなサスペンションセッティングとされています。
1986年のマイナーチェンジでは、最高出力145馬力までアップしたスーパーチャージャーエンジン車を追加でラインナップし、同時にサスペンションセッティングなどが最適化されたことにより、よりミッドシップらしいシャープなハンドリングを強調。
しかし、やや後ろよりの前後重量配分だったため、リアタイヤが滑り出すと神経質な車体の挙動となることを想定して、走る必要がありました。
そして、1989年に2代目MR2がデビューし、トップグレードには最高出力225馬力という高出力な2リッターターボエンジンを搭載。
初期のモデルは柔らかめのスプリングを用いたマイルドなサスペンションセッティングでしたが、ハイパワーなエンジンにブレーキなどシャシ性能が追いついておらず、かなりじゃじゃ馬な操縦性と評されてしまいました。
その後、2代目MR2は1999年まで10年間生産されましたが、その間に4回のマイナーチェンジがおこなわれ、パワーアップと共にシャシ性能が向上したことで、最終型ではハンドリングや旋回性能が大きく改善されました。
■パワーこそ正義だった頃のスカイラインとは
●日産「スカイライン2000ターボRS」
プリンス時代に登場した2代目「スカイライン」は、レースでの活躍によって日本のスポーツセダンの先駆け的存在でした。
そして、1969年に登場した日産初代「スカイラインGT-R」は、レースで勝つことを宿命に開発されたモデルで、スカイライン=スポーツモデルというイメージを確立。
しかし、1970年代の排出ガス規制強化によりスカイラインのみならず、すべてのスポーツモデルが「牙を抜かれた」状況となってしまいます。
それを突破したのが5代目で、1980年に2リッター直列6気筒SOHCターボエンジンを搭載した「スカイライン2000GTターボ」を発売し、パワーを取り戻します。
1981年に発売された6代目では2リッター直列4気筒4バルブDOHCで150馬力を発揮する「FJ20E型」エンジンを搭載する「スカイライン2000RS」が登場。2代目スカイラインGT-R以来となる8年ぶりのDOHCエンジンが復活しました。
さらにパワー競争のさなかとあって、1983年にはFJ20E型エンジンにターボチャージャーを装着し190馬力まで出力を高めた「FJ20ET型」エンジンを搭載する「スカイライン2000ターボRS」も登場します。
これでも十分にハイパワーでしたが、1984年にはインタークーラーを装着し、最高出力205馬力に高められた「スカイライン2000ターボインタークーラーRS」を発売し、2リッターエンジン車のトップとなりました。
これだけ短期間にパワーアップを繰り返したことで、やはりシャシ性能が追いついておらず、また、出力特性はいわゆる「ドッカンターボ」だったことから、ワインディングを速く走らせるには何よりもドライバーの腕次第だったようです。
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GT-Rは「NISMO」グレードで600馬力、シビックタイプRはFFながら320馬力と、かつての日本車では考えられないようなハイパワーなモデルです。
当然ながら日本の公道でパワーを使い切ることはありえませんが、数字上のパワーだけでも大いに魅力があります。
また、強烈な加速を味わっても人間は慣れてしまうようで、パワーへの要求はエスカレートしていくともいわれています。
冒頭にもあるとおり、現在のクルマは安全性能やシャシ性能が高くなっていますが、物理の法則には限界があり、最終的に操るのは人間ですから、自分の身の丈に合った走りを心がけましょう。