フェラーリ歴代スペチアーレの中でも、もっともファンが多いと思われる「F40」。バブル期は新車価格のおよそ4倍もの2億円というプレミアムがついたF40だが、F1パイロットであり開発ドライバーでもあったベルガーが所有していたF40には、プレ値がつくのだろうか。
■フェラーリ創業40周年記念モデル、「F40」の開発ドライバーは?
フェラーリ「F40」は、同社の創業40周年を記念して開発されたモデルだ。
1987年、マラネロでおこなわれた発表会には、創業者であるエンツォ・フェラーリが出席。彼が生涯の最後に、そのままレースに参戦できる市販車というコンセプトをそのまま実現化したクルマ、それがF40だ。
●1990 フェラーリ「F40」
搭載されているエンジンは、2.9リッターV型8気筒ツインターボで、最高出力478ps/7000rpm、最大トルク58.5kgm/4000rpmを発揮する。
フレーム構造の上にボディをかぶせるという、当時の技術はそのままに、FRPやカーボンケブラーといった、80年代の最新素材をふんだんに使うことで、車両重量を軽減。
乾燥重量で1100kgを実現することで、最高速度はフェラーリ公表値で324km/hをマークしている。発表当時は、世界最速の市販車だった。
開発には、当時スクーデリアフェラーリF1チームのドライバーだった、ゲルハルト・ベルガーも参加している。
創業40周年記念車ということに加え、いまや伝説の人物エンツォ・フェラーリがつくったモデルということもあって、このF40の人気は現在も高い。
モデルライフは、フェラーリとしては長いといえる5年間。1987年の発表から、1992年まで製造されていた。
当時の日本での新車価格は、4450万円。しかし入荷台数が少ないこともあり、一時は2億円超というプレミア価格で取引されていた。生産終了までの製造台数は、予定を大幅に上回る1311台といわれている。
このフェラーリF40が、RMサザビーズオークションに登場した。といっても、これはただのF40ではない。次のページで、この個体がどういうものなのか紹介していこう。
■かつて日本にあった「F40」がベルガーの元に!?
オークションに登場したF40がマラネロで誕生したのは、1990年3月27日。
完成後すぐ、イタリアのフェラーリ販売代理店である、ライツスピード社に納車され、シンガポール人オーナーに売却された。
その後、このF40は正規の手続きを経てシンガポールに輸出され、1993年に2人目のオーナーの手に渡り、日本に輸出されている。
●1990 フェラーリ「F40」
日本には2017年まであったことが確認されており、その年に3人目のオーナーであるドイツ人の手に渡った。
そのオーナーは同年、ハンブルグにあるフェラーリの正規ディーラー、スポルト・ワーゲン社にメンテナンスを依頼。エンジンはボディから下ろしてオーバーホールをおこない、ブレーキシステムには新しいブレンボ製のキャリパーとローターが取り付けられたほか、スピードラインが製造した17インチのホイールも、このときにセットされている。ちなみにこのメンテナンスには、8万ユーロ(約1000万円)の費用が掛かっているそうだ。
2019年5月、このF40は4人目のオーナーを迎えることになった。
そのオーナーとは、ほかでもないゲルハルト・ベルガー。そう、かつてスクーデリアフェラーリのF1ドライバーであり、F40の開発も担当していたベルガーである。
日本人にとっては、マクラーレンのドライバーとしてホンダエンジンでアイルトン・セナとともにF1を戦い、コンストラクターチャンピオンを獲得したドライバーとして知られる人物だ。
ベルガーはこのF40を手に入れてすぐ、母国であるオーストリアで登録。2019年12月にはフェラーリ・クラシケ認定を受けている。これはこの個体が、間違いなくマラネロで製造され、フェラーリオリジナルの状態が保たれている、ということを保証するもの。
当然この個体には、認定書も付属していて、それによるとオリジナルから変更されている唯一のパーツは、触媒レスとした『ル・マン・クイックシルバー』チタン製エキゾーストシステムのみ、となっている。
そんなF40は、90万ユーロ−110万ユーロ(邦貨換算約1億1000万円−1億3860万円)という予想落札価格となっていた。経歴とコンディション、そして「ベルガーのF40」であれば、そのくらいの価値はあるだろう、という判断だ。
しかしながら、1回目の入札では、落札価格に達せず、流札。12月26日から31日までが、第2回の入札期間となっている。
実際に買えるかどうかはまた別の話となるが、バブル当時の日本での流通価格を考えればお買い得といっていいF40。再び日本へと、今度はベルガーの愛車という勲章を下げて海を渡る日が、訪れてほしいものである。