2016年に復活を遂げたフランスのスポーツカーブランド、アルピーヌ。2021年の今年は、モンテカルロラリーに「A110ラリー」で参戦したり、前身のルノーF1チームから改称、2021年シーズンからはアルピーヌF1チームとしてフォーミュラ1に参戦したりと話題は尽きない。そんなアルピーヌとはどんなブランドなのだろうか。
■アルピーヌが100%電気自動車ブランドになる!?
アルピーヌは、2016年に復活したフランスのスポーツカーブランドだ。2017年に現代に蘇った新型「アルピーヌA110」は世界中で人気となり、一時は多くのバックオーダーを抱えるほどだった。
登場後もアルピーヌA110の進化は続き、よりパワフルな「A110S」の追加や、カスタムプログラムであるアトリエアルピーヌを欧州だけでなく日本でも開始するなど、積極的な展開をおこなっている。
ルノーのサブブランドとしての役割も担うアルピーヌだが、この2021年は話題が豊富だ。
ルノーが母体となるF1コンストラクターのルノーF1チームは、2021年シーズンから「アルピーヌF1」チームと名称変更されて参戦することが決定。また1月にモナコ公国で開催されたWRC(FIA世界ラリー選手権)第1戦、ラリー・モンテカルロには、5台の「A110ラリー」が出走、クラス優勝も果たした。さらに2021年シーズンのWEC(FIA世界耐久選手権)とル・マンには、これまでのLMP2から、LMP1での参戦を発表している。
話題になっているのはモータースポーツだけではない。この1月にはルノーの戦略および事業開発ディレクターだったローレント・ロッシ氏がアルピーヌのCEOに就任、それと同時に長期成長計画を発表している。
その長期計画には、アルピーヌは今後、100%電動のブランドに進化していくと書かれている。その詳細な時期に関しては未定だが、今後以下の3モデルを追加していくという。
・ルノー・日産・三菱アライアンスの「CMF-BEV」プラットフォームに基づくピュアEVスポーツコンパクト(Bセグメント)
・ルノー・日産・三菱アライアンスの「CMF-EV」プラットフォームに基づくピュアEVスポーツクロスオーバー(Cセグメント)
・ロータスと共同で開発する、アルピーヌA110に代わるピュアEVスポーツ
すでにグループルノーとロータスは、ピュアEVスポーツカーの共同開発を含むいくつかの分野でともに協力して研究するという覚書に署名している。アルピーヌとロータスは、フランスと英国のそれぞれのリソースや専門知識、設備を利用して、このモデルの共同エンジニアリング、設計、開発を始めている。
ロッシCEOは「フォーミュラ1やルノー・スポールチームの優れたエンジニアリングは、今後100%電動ブランドとして将来的にアルピーヌの名前を定着させるでしょう」とコメントしている。まだその姿は明らかになっていないピュアEV3モデルだが、モータースポーツへの投資を含め、2025年までにブランドの黒字化を目指すという。
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そんなアルピーヌには、どんな歴史があるのだろうか。
■1955年に誕生した歴史あるスポーツカーブランド
アルピーヌとはフランス語で「高い山」を意味する。「アルプスへと続くワインディングロードを快適にドライブするクルマ」、これがアルピーヌの目指すクルマづくりだ。
もともとアルピーヌは、1955年にジャン・レデレ氏によって創設された。レデレ氏は父親と一緒にルノーのディーラーを営んでいたが、ラリードライバーでもあった彼はモータースポーツ好きが昂じて、クルマづくりまで始めたのだ。
レデレ氏はルノー車を改造してレースに参加していた。
最初は「4CV」をベースにして、ボディをFRPにするなどの軽量化を図り、高い戦闘能力を持たせた「アルピーヌA106」のプロトタイプでミッレミリアに参戦、750cc以下のクラスで優勝するなど活躍した。
1956年に「アルピーヌA106ミッレミリア」の市販を開始、1962年まで生産された。このモデルのデザインは、ジョヴァンニ・ミケロッティが担当した。現代のA110の原型となる「アルピーヌA110」がデビューしたのは1962年3月。これがのちにアルピーヌの代表車種になる。
アルピーヌがモータースポーツ活動でルノーと提携したのが1965年だった。
ルノーにとって、レースやラリーで良い成績を収めるためのパートナーとしてはもってこいの存在だった。1971年にはラリー・モンテカルロで初優勝、1973年にはWRCでコンストラクターズタイトルを獲得している。
アルピーヌは、1964年から1972年までの間にシングルシーター/ラリー/プロトタイプの3部門でタイトルをとった初めてのメーカーになった。このようにモータースポーツに参戦しながらも、1972年には「ポルシェ911」に対抗するような「アルピーヌA310」を世に送り出した。駆動方式はRRだった。
競技の成績は絶好調でも、この時代のアルピーヌの経営自体はすでに危うかった。結局、アルピーヌの株式がルノーに渡り、アルピーヌはルノーに買収されることになった。結果論としてはこれがうまくいき、ルノーのモータースポーツ部門として活躍することができた。
1978年には「アルピーヌA442B」がル・マン24時間レースで初優勝を遂げることになる。
同年、レデレ氏はルノーを離れたが、アルピーヌのブランドはファンの心に残っていた。1991年から1995年まで生産した「アルピーヌA610」を最後に市販車のラインナップは消えたが、2017年に登場した新生A110でブランドが復活した。
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ちなみに、フランス北部のノルマンディ地方の海岸に面したディエップという町は「アルピーヌの聖地」といわれる。
ここはジャン・レデレ氏が最初にアルピーヌをつくり始めた場所なのだが、ルノーR.S.などのスポーツモデル、そしてアルピーヌのモデルは、いまでもルノーのディエップ工場で製造されているという縁のある土地だ。