1989年に日産は4代目となる「Z32型フェアレディZ」を発売。最高出力280馬力を達成した初の国産車で、外観デザインもそれまでのイメージから一新。そこで、シリーズでも大きな転換期となったZ32型フェアレディZを、振り返ります。
■「901活動」で誕生したスポーツカーを振り返る
日産は1969年に、新時代のスポーツカーとして初代「フェアレディZ」を発売。1970年モデルからアメリカでも発売されると、スポーツカーとして異例の大ヒットを記録しました。
日本を代表するスポーツカーという地位を獲得したフェアレディZは、その後も代を重ね、現行モデルは6代目にあたり、2020年9月には次期型となる7代目のプロトタイプが発表されています。
この50年以上もの歴史があるフェアレディZのなかでも、大きな転換期となったモデルが、1989年に登場した4代目のZ32型ではないでしょうか。
そこで、いまも稀代の名車と語り継がれるZ32型フェアレディZはどんなクルマだったのか、振り返ります。
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まずは、簡単にフェアレディZの誕生からZ32型登場までを紐解きます。
1969年に誕生したS30型初代フェアレディZは、それまでオープン2シーターだったダットサン「フェアレディ」の後継車として開発され、クローズドボディに変貌。外観は古典的なロングノーズ・ショートデッキのフォルムながら斬新かつスタイリッシュなデザインです。
エンジンは2リッター直列6気筒の「L型」がスタンダードで、エンジンを含め既存のモデルから主要な部品を流用したことから比較的安価な価格を実現し、前述のとおりアメリカで大ヒットしました。初代は生産台数の8割がアメリカに輸出され、以降もアメリカが主戦場となります。
1978年には初代からキープコンセプトとした外観の2代目、S130型が登場。ボディはひとまわり大きくなり、後にターボエンジンやTバールーフが加わるなど、スポーツカーからGTカーに近い存在となります。
1983年に3代目のZ31型が発売。外観はロングノーズ・ショートデッキのシルエットながら大きく変わり、セミリトラクタブルヘッドライトのウェッジシェイプを採用。エンジンもV型6気筒が主流となり、3リッターエンジンも設定されるなど、完全にGTカーへと生まれ変わりました。
そして1980年代の中頃から日本は好景気の波が押し寄せ、日産は1980年代の終わりに『1990年までに世界No.1の動性能を実現』という開発目標を掲げ、これを「901活動」と名付けてプロジェクトを推進。
この901活動の成果として、日本市場には「R32型スカイラインGT-R」、欧州市場には初代「プリメーラ」、北米市場には「Z32型フェアレディZ(300ZX)」が誕生しました。
この3台のうち最初にデビューしたのがZ32型フェアレディZで、元号が平成になった1989年7月に発売されました。
外観は初代から3代目まで続いたロングノーズ・ショートデッキから脱却し、全幅の拡大と低い全高によるロー&ワイドな迫力あるデザインで、日本国内のみならず、世界中のスポーツカーマニアから注目を集めます。
ボディタイプは2シートと2+2で4名乗車可能な「2by2」をラインナップ。サイズは2シーターが全長4310mm×全幅1790mm×全高1250mmで、2by2は全長4525mm×全幅1800mm×全高1255mと、堂々とした体躯になり、3代目までは不評だった2by2の長いルーフも改善され、一見すると2シーターと判断しづらいほどまとめられた外観となりました。
全体のフォルムはウェッジシェイプを継続しましたが、ヘッドライトがセミリトラクタブルヘッドライトから固定式に変わり、よりシャープな印象です。
内装も曲面を多用したインパネまわりが特徴で、包まれ感のある適度にタイトなコクピットは、スポーツカーらしさあふれるものでした。
この内装のデザインは、お蔵入りとなった幻のスーパーカー「MID-4」のエッセンスが取り入れられています。
■280馬力自主規制のきっかけとなったVG30DETT型エンジン
Z32型フェアレディZは内外装のみならず、シャシやエンジンも一新されました。
サスペンションは前後マルチリンク式とされ、ターボ車にはスーパーHICAS(電子制御式4WS)を搭載。ここにもMID-4で開発された技術が生かされました。
また、225/50R16サイズのタイヤや前後大径のベンチレーテッドディスクの採用により、高いコーナリング性能を実現。
そして、Z32型フェアレディZ最大のトピックスはエンジンにあり、トップグレードには1988年に発売された「セドリックシーマ/グロリアシーマ」に搭載されていた、3リッターV型6気筒DOHCターボエンジンをベースにツインターボ化した「VG30DETT型」を採用。これもMID-4譲りです。
最高出力280馬力を誇り、これがきっかけで国産車は280馬力を上限とする自主規制が2004年まで続くことになります。
なお、自然吸気モデルに搭載された「VG30DE型」でも230馬力と、十分に高出力でした。
トランスミッションはターボ/自然吸気モデルともに5速MTと4速ATが設定され、ターボモデルはAT車でも強烈な加速力が味わえました。
また、高速道路での追越し加速は非常にダイナミックなもので、欧州ではポルシェやフェラーリのモデルと対等とも評されます。
その後、Z32型フェアレディZは、改良とバリエーションの拡充が図られました。
1992年にはシリーズ初となるソフトトップのオープンモデル「フェアレディZ コンバーチブル」が登場。乗員の後方にはロールフープが設置されていますが、開放感はTバールーフの比ではありません。
そして、よりスポーティな「バージョンS」「バージョンR」が発売されるなど、進化していきます。
しかし、日産の経営悪化により1999年3月にルノー傘下となり、翌2000年12月にZ32型フェアレディZは生産を終了。一旦、フェアレディZの系譜は途絶えることになります。
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2002年にフェアレディZは復活を果たし、現行モデルまで繋がりますが、やはりZ32型の存在は歴代でも強く印象に残っています。
とくに外観の均整のとれた美しさは、日米だけでなく欧州でも高く評価されたほどです。
歴代のフェアレディZはどれもすばらしいクルマですが、バブル景気という背景から誕生したZ32型が、大きな転換期となったのは間違いないでしょう。