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東日本大震災、10年前に中国車が日本を救った? 超法規的措置で導入! 1億5000万円ポンプ車の現在

くるまのニュース 2021年3月13日 7時30分

10年前の2011年3月11日、東日本大震災による福島第一原発の事故が発生しました。その際、原子炉を冷却することが急務でしたがその作業の影に中国製のポンプ車の活躍があったことはあまり知られていません。当時の様子や10年経った現在の状況を関係各所に取材をおこない、いま振り返ります。

■3.11後、原発冷却のために、コンクリートポンプ車を中国から緊急輸入

 2011年3月11日に発生した東日本大震災による福島第一原発の事故において被害をこれ以上拡大させないために、原子炉を冷却することが急務でした。
 
 その際、1台の中国製ポンプ車が活躍していたといいますが、どのような事情があったのでしょうか。

 当時、東京電力や日本政府は、原子炉を冷却するためにさまざまな方法を模索し、ヘリコプターからの散水や消防車を使った放水など試みたもののいずれもうまくいきませんでした。

 ヘリは被爆を極力避けるために、かなり高い位置からの散水となり風に流されるなどしてほぼ効果なし。消防車は高さがまったく足りずこちらも効果なし。

 そこで、長いブームを持つコンクリートポンプ車による注水という方法が提案されました。

 コンクリートポンプ車とは一般的な大型トラックのシャーシにコンクリート圧送のためのポンプと、コンクリートを高所に送るための配管がついた折りたたみ式ブームを有する建設機械のことです。

 もともとは高層ビルなどを建設する際に液状のコンクリートをポンプで流し込むための機械ですから、「コンクリートよりも軽い水を高所まで圧送して注水できるのでは?」と考えられたのです。

 消防車やヘリを使うよりは効果が見込めましたが、ひとつ大きな問題がありました。

 それは、車両総重量の上限が25トンという道路運送車両法や限界角度などの規制に関係したことで、ブームの長さが最大でも36mに制限されており、原発の注水作業に使える60m級のポンプ車は日本には存在していなかったのです。

 そして、世界中を探し回った結果、中国・三一重工という建機メーカーが製造する長さ62mのブームを持つコンクリートポンプ車が見つかりました。

 しかも、非常に性能が良いポンプ車で、2キロ離れたところからの遠隔操作も可能というものでした。

 東電はすぐに、三一重工の日本法人を通じて、中国・三一重工に購入したいことを伝えましたが、三一重工社長の梁穏根(りょう・おんこん)氏からは、驚く答えが返ってきました。

「日本に販売しないでください。売らないでください。日本は一衣帯水の隣国です。

 今こそ支援の手を差し伸べたい。そのポンプ車は日本の被災地に寄贈します」

 つまり、1億5千万円もするコンクリートポンプ車を販売するのではなく、無償提供したいとの返事でした。

 単に車両だけを送るのではありません。三一重工から専門の技術者3名も一緒に来日して操作方法などのレクチャーもおこなうとのことでした。

 当時の様子を三一重工の日本代理店であるWWB株式会社社長は振りかえります。

「寄贈が決定し、すぐに三一重工が62mブームを持つポンプ車を探したところ、非常にラッキーなことに、たまたま上海の港に条件に合ったコンクリートポンプ車があることがわかりました。

 ドイツに向けて出港目前だったのですが、ドイツ側の企業にも快諾いただき、赤十字社を通じて日本の被災地に向けて送ることになったのです。

 ドイツに向かう船から降ろされたコンクリートポンプ車はすぐさま、『蘇州号』(上海~大阪)に乗せ換えて日本に向かうことになりました。

 日本に到着してからは、千葉県野田市で2日間、操作方法などの訓練をおこない、その後、福島に向けて旅立ちました」

※ ※ ※

 今回の取材では、かつて存在していた三一重工の日本法人「三一日本」の代表取締役(当時)川添智弘氏にもお話を詳しく伺うことができました。

「大阪から千葉~福島まで自走で移動したのですが通過ルートの状態もすべて詳細に調べる必要がありました。

 道路幅や橋、トンネルなど。なんせ総重量が55トンもある車両です。私のメールには東電さんとの緊迫したやり取りが今も残っていますよ。

 通過する府県の警察も全面協力してくださり、無事に福島に移動できるよう道路の一時封鎖など交通規制も一部ではおこなわれました。コンクリートポンプ車の前後には各府県のパトカーが護衛につきました。

 本来ならば、日本の公道を走行するには各種の規制があり時間もかかるのですが、今回は赤十字社を通じた寄贈ということで超法規的措置によって、仮ナンバーの発行もスムースにおこなわれ、上海の港を出て千葉の訓練場所を経て福島第一原発で注水作業がおこなわれるまで約2週間という驚異的な短期間で実現しました」

■寄贈されたコンクリートポンプ車。10年経った現在はどうなっている?

 日中友好の新たな歴史を作った三一重工のコンクリートポンプ車。日本に寄贈されてから間もなく10年になりますが、今はどうなっているのでしょうか。

 東京電力ホールディングス株式会社福島本部福島広報部に尋ねたところ、以下の回答をいただきました。

「当該ポンプ車は、現在も福島第一原子力発電所構内に保管されています。
 保管の目的は緊急時に活用するためです。動作確認により現在も使用できることを確認しています」

 前出のWWB社長は次のように話しています。

「現在でも車両動作の定期点検が必要です。ベースとなる車両やすべてのパーツが正しく作動するか?など各種のテストもおこなっています」

 WWB社はメンテナンス作業の必要な手伝いや各種の整備でパーツ交換などもすべて無償でおこなっているとのことです。

 なお、当時は数車種のコンクリートポンプ車(中古)が購入されましたが、ブームが短かったり、遠隔操作できないタイプであったり、なかには品質が悪い車両もあったようで現在は三一重工から寄贈された車両のみが、現役で頑張っています。

福島第一原発へ注水作業を行う当時の様子(写真提供:東京電力、WWB(株)、川添智弘、加藤ヒロト)

 10年前、原発を冷やすための注水作業については新聞やテレビのニュースなどで多く報道されましたが、中国から寄贈されたコンクリートポンプ車について言及している記事はわずかであり、多くの日本人はこの事実を知らないでしょう。

 ましてや10年経った現在も、三一重工やWWBの協力によって定期的にメンテナンスがおこなわれ、有事の際にすぐに出動できる体制を整えていることまでを知るのは限られた関係者だけだと思われます。

 汚染水の処理など今後、解決していくべき問題もありますが、10年前の3月にいち早く、原発の冷却に成功できた背景には寄贈元の三一重工、積極的に協力をおこなった代理店WWB株式会社をはじめ、日中政府や多くの組織、機関、関わる人々の協力によって成し遂げられたことは後世に残したい記憶です。

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