近年はセダンのスタイルもかなり様変わりして、クーペのようなフォルムや流麗なデザインのモデルが主流です。一方、昭和の頃のセダンは、空力性能は考えないようなフロントフェイスやスタイルのモデルが大多数でした。そこで、とくに重厚な雰囲気のセダンを、3車油ピックアップして紹介します。
■セダンらしさあふれる昭和のクルマを振り返る
現在、国内のラインナップでセダンは激減してしまいましたが、生き残っているモデルを見るとデザインはかなり様変わりした印象です。
セダンなのにまるでクーペのようなフォルムであったり、なめらかなラインを描く流麗なデザインのモデルが主流となっています。
一方で、セダンが隆盛を極めていた昭和の時代のモデルは、まったく空力性能を考えていないような重厚感あふれるモデルが、数多く存在。
そこで、とくに重厚な雰囲気のラグジュアリーセダンを、3車種ピックアップして紹介します。
●日産6代目「グロリア」
第二次大戦以前から飛行機製造をおこなっていた立川飛行機を源流とするプリンスは、1959年に初代「スカイライン」をベースに排気量を1.5リッターから1.9リッターまで拡大した高級セダンの初代「グロリア」を発売。
1962年に2代目グロリアが発売されると、洗練されたデザインで今も愛好家が多数存在します。
その後、1966年にプリンスと日産が合併した以降は、グロリアと「セドリック」は兄弟車となり、代を重ね1979年に登場した6代目は、先代までの曲線を多用したボディから一転して直線基調の重厚なデザインに変貌を遂げます。
ボディタイプは4ドアセダン、4ドアハードトップ、5ドアのステーションワゴンとバンを設定。逆スラントノーズのフロントフェイスもボディタイプによって異なり、4ドアセダンとステーションワゴンが角目4灯、4ドアハードトップが角目2灯、バンが丸目4灯で、とくに4ドアセダンは重厚感が際立っていました。
そして、発売から数か月後には国産乗用車初となるターボエンジンを搭載したモデルを追加ラインナップ。
2リッター直列6気筒ターボの「L20ET型」エンジンは最高出力145馬力を発揮し、上位グレードである2.8リッター直列6気筒エンジンと同等のパワーを発揮します。
当時は3ナンバー車の税金が極端に高かったこともあり、ターボモデルは高級車ながら大ヒットを記録。車両型式の「430型」を指して「ヨンサンマル」と呼ばれました。
なお、セドリックとグロリアは販売チャネルが異なるのみで基本的には同一のモデルでしたが、往年のプリンスファンはあえてグロリアを選んだといいます。
●トヨタ6代目「クラウン」
1955年にトヨタは初代「トヨペット・クラウン」を発売。誕生した時から同社の高級車というポジションを担っており、常に最新技術を投入されながら代を重ねていきました。
そして、1979年には6代目が登場。歴代のなかでも、もっとも風格のある外観へと変貌を遂げました。
ボディバリエーションは4ドアセダン、2ドアと4ドアハードトップ、5ドアのステーションワゴンとバンの5種類が設定され、基本的なコンポーネンツは5代目から継承されています。
フロントフェイスは4ドアセダンが角目4灯、ハードトップとステーションワゴンが角目2灯、バンとベーシックなセダンは丸目4灯とバラエティ豊かです。
なかでも4ドアセダンは、細かな縦スリットの入った大きいメッキフロントグリルに、グリルの形状に合わせたプレスラインが入るボンネット、そして角目4灯が相まったフロントフェイスに、「ザ・セダン」といえる直線基調のボディが、見事な調和を見せています。
エンジンはシリーズ最大となる2.8リッター直列6気筒に、2リッターが2種類、2.2リッターディーゼルを設定し、1980年のマイナーチェンジではトヨタ初の2リッターターボエンジンを搭載。
6代目のコンセプトは「1980年代のクラウン」という先進性を強調し、高級車に不可欠な静粛性や乗り心地の良さと走行安定性などの基本性能を向上させつつ、到着推定時刻や平均速度などを演算・記憶する「クルーズコンピュータ」やリアパワーシート、録音可能なオーディオなどの新技術を採用しています。
その後、クラウンはシャープなデザインから徐々に流麗なフォルムへと変貌を遂げ、現行モデルの15代目では流行をキャッチアップしたクーペスタイルです。
■マツダ車のなかでも異色のセダンとは?
●マツダ「ロードペーサー」
マツダは1967年に、世界初のロータリーエンジンを搭載した量産車の「コスモスポーツ」を発売。高性能でコンパクトなロータリーエンジンは、まさにスポーツカーには最適なエンジンでといえました。
その後、マツダはロータリーエンジン車の拡充を開始し、小型車から大型車、バスやピックアップトラック、軽自動車まで、すべてのラインナップにロータリーエンジンを設定するフルラインナップ化を目指しました。
そうした流れのなか、1975年に発売された異色の高級セダンが「ロードペーサー」です。
ロードペーサーには最高出力135馬力を発揮する654cc×2ローターの「13B型」ロータリーエンジンを搭載。
ボディはオーストラリアのホールデンから、プレステージセダンである「プレミアー」の車体がOEM供給され、ロータリーエンジンを搭載したかたちです。
当時のアメリカ車そのものといった重厚なフロントフェイスに、スタイリッシュなボディは日本車と一線を画するものでした。
しかし、大きすぎるボディと高額な車両価格から販売は低迷。さらに5リッター超のV型8気筒エンジンが搭載されることを想定していた車体はヘビー級で、ロータリーエンジンの燃費の悪さに拍車がかかったといいます。
ただし、騒音と振動が少ないロータリーエンジンならではの静粛性による上質な室内空間は、好評だったようです。
そして、発売からわずか2年後の1977年にロードペーサーは生産を終了。短命だったことから、今はかなり貴重なモデルとなっています。
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前述のとおり6代目グロリアは、セドリックとともに国産車初のターボエンジン搭載車です。
黎明期のターボ車というと、BMW「2002ターボ」やポルシェ「930ターボ」のようなスポーツカーというイメージでしたが、日産は高級セダンをチョイスしました。
それは当時の運輸省(現在の国土交通省)の認可の関係で、ターボエンジンはあくまでも経済的に優れているという面をアピールする必要があり、スカイラインや「フェアレディZ」といったスポーティなモデルではなく、セドリック/グロリアで実績をつくる苦肉の策だったといわれています。
今では考えられませんが、1970年代頃の日本では「高性能車=悪」という時代でした。