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2000年前後のスポーツセダンが激アツ! トヨタ「アルテッツァ」をライバル視した高性能車とは

くるまのニュース 2021年12月11日 11時50分

昨今はセダン不振といわれていますが、2000年前後はスポーツセダン市場が盛り上がっていました。当時の魅力的なスポーツセダンにはどのようなモデルがあったのでしょうか。

■2000年前後に盛り上がったスポーツセダン市場

 近年は、SUVやコンパクトカー、軽自動車が人気を得る一方、セダンの販売が低迷しています。

 そんなセダンの販売状況が低下を始めたのは1990年代末頃でしたが、当時はトヨタ「アルテッツァ」をはじめ、魅力的なスポーツセダンが各社から販売されていました。

 アルテッツァは、当時「セダンイノベーション」を掲げて、セダン市場の新たな姿を目指していたトヨタのFRスポーツセダンとして1998年11月に発売。

 大人4人が十分に乗れて、210馬力/160馬力の扱いやすいパワーのエンジンを搭載、価格も200万円台前半から後半までと売れる要素は備えていましたが、当時他社も魅力的でより速いライバル車を発売したため、アルテッツァは苦戦。途中ワゴンモデルの「ジータ」を追加するも、人気を回復するには至りませんでした。

 アルテッツァ自体の人気は十分でなかったとしても、ターボエンジンあり、高回転高出力エンジンあり、新開発シャシありと、各車はスポーツセダンに力を入れており、一時的ではありますがスポーツセダン市場が盛り上がっていたのです。

 そこで、2000年前後に登場したスポーツセダンにはどのようなモデルがあったのか振り返ってみます。

●スバル「レガシィB4」

 1998年にスバル「レガシィ」が3代目へとフルモデルチェンジして登場しました。

 レガシィは、2代目でステーションワゴンの人気が極めて高まり、一説によると販売比率はシリーズの85%を占めたといわれています。

 3代目でもワゴン人気が予想され、1998年6月にワゴンを先行して発売。ワゴンに遅れること6か月、新たに「B4」のサブネームを得て、スポーツセダンとして登場しました。

 登場当初の搭載エンジンは、EJ208(280馬力/35.0kgf・m)またはEJ206(260馬力/32.5kgf・m)のツインターボエンジンを搭載する「RSK」と、EJ204(155馬力/20.0kgf・m)の自然吸気DOHCエンジンを搭載する「RS」をラインナップ。

 高性能エンジンと4WDシャシ、高級感を感じさせるボディや内装という魅力が詰まった5ナンバーセダンとして高い人気を得ました。

 4WD方式は、MT車が「センターデフ+ビスカスLSD式」、RSKのAT車がセンターデフと電子制御油圧多板クラッチを並列に搭載し、油圧多板クラッチをLSDとして用いる「VTD式」、RSが電子制御油圧多板クラッチで後輪にパワーを配分する「アクティブトルクスプリット4WD」を採用していました。

 ボディは環状骨格構造を採用して剛性を向上、サスペンションはフロントにストラット式、リアに新開発のマルチリンク式を採用し、コーナリング性能も向上していました。

 3代目レガシィ B4は魅力が異なるモデルを多数設定していったことも特色です。

 3リッター水平対向6気筒自然吸気エンジンを搭載する「RS6」や、ポルシェデザイン社がデザインしたバンパー、リアスポイラーを装着する「ブリッツェン」などがあり、末期には「S401 STiバージョン」などが登場し、常に魅力を保ち続けていきました。

■ホンダとマツダのスポーツセダンとは

●ホンダ6代目「アコード」

 ホンダのスポーツセダン「アコード」は、1997年に6代目の「CF/CL型」が登場しました。

 5代目アコードは世界共通の3ナンバーボディであったのに対し、このモデルでは仕向け地向けボディに変更。日本向けモデルは5ナンバーサイズとなりました。

 登場当初のスポーツモデルは、2リッターDOHC VTECエンジンを搭載する「SiR-T」で、エンジン性能は200馬力/7200rpm、20.0kgf・m/6600rpmと高回転型であることが特徴です。高いエンジン性能を高剛性ボディと4輪ダブルウイッシュボーン式サスペンションが受け止めていました。

ホンダ「アコード ユーロR」

 SiR-Tでも十分なスポーツ性能を発揮していましたが、当時のホンダは、スポーツ性能を重視した「タイプR」、または快適性を保ちながらスポーツ性能を高めた「タイプS」を展開しており、SiR-Tはイメージの上で目立たない存在になってしまいました。

 先に欧州で登場していた「アコード タイプR」の要望が高まり、国内では2000年8月には新たに「ユーロR」が登場。同車は、専用チューニングを施した2.2リッターDOHC VTECエンジン(H22A型)を搭載しました。

 エンジン性能は、220馬力/7200rpm、22.5kgf・m/6700rpmにアップし、外観上もフロントフェンダーにオーバーフェンダーとして機能するホイールアーチモールを設定。

 ほかのタイプRと同様にサスペンションもチューニングされており、走りの性能もタイプRの精神を受け継ぐ高い性能を発揮しました。

 アコード ユーロRは、2003年にフルモデルチェンジを受けるまでの2年間程度の販売と比較的短命なモデルでしたが、ユーロRのコンセプトは次のモデルにも受け継がれました。

 現在でも隠れた名車として乗り続ける人も多く、スポーツ性能と快適性能を高い次元で両立した、好バランスのセダンだったといえます。

●マツダ「アテンザ」

 2002年に登場したマツダ「アテンザ」は、4ドアセダン、5ドアハッチバック、5ドアステーションワゴンと、この時代としては多彩なボディバリエーションを展開しました。

 エンジンは2リッター直列4気筒(150馬力/18.6kgf・m)の「LF-DE型」と、2.3リッター直列4気筒(178馬力/21.9kgf・m)の「L3-VE型」を搭載。

 エンジンの最高出力はライバルと比較すると控えめでしたが、3ナンバー専用の安定感あるボディサイズと、途中で18インチタイヤを装着する「23Z」グレードを設定するなど、必ずしもエンジンパワーに頼らないスポーツセダンであったことも特徴でした。

 なかでも5ドアハッチバックは「スポーツ」のサブネームを得て、エアロパーツを装着したり黄色をメインカラーに設定するなど若々しさを前面に押し出し、新世代のスポーツセダンの側面を持っていました。

 マツダ自体も、「Zoom-Zoom」コンセプトの第一弾として積極的にCMなどを展開し、これまでのマツダ車とは異なるイメージを前面に打ち出していました。

 アテンザにもハイパワーエンジンを望む声が大きく、モデル途中の2005年、メーカー純正チューニングブランドの「マツダスピード」の名を得た「マツダスピード アテンザ」を追加。

 新開発の2.3リッター直噴ターボエンジン「L3-VDT」は、272馬力/38.7kgf・mを発揮し、フルタイム4WDと6速MTの組み合わせのシャシに搭載、ボディには剛性が高い4ドアセダンを選択しました。

「デミオ」や「ファミリア」などのスマッシュヒットを続けていたマツダは、この世代のアテンザの頃から「マツダ地獄」の汚名を返上してきたこともトピックスとして挙げられます。

※ ※ ※

 アルテッツァは、必ずしもスピード性能を売りにせず、後輪駆動ならではのドライビングプレジャーを前面に押し出していました。

 他社は必ずしもアルテッツァの登場を予想してスポーツセダンを設定したのではないかもしれませんが、一時的に市場を活性化。

 また今回紹介したモデルのなかで、マツダスピード アテンザ以外は車両価格が250万円程度に抑えられており、それほど景気が良くない時代ながら、「少し無理をすれば買える」と多くの人が感じた価格設定だったことも功を奏したのでしょう。

 その後、各社は次のモデルで性能を上げるとともに価格帯まで上昇させてしまい、市場は冷え込んでいきました。

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