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こんなはずじゃなかったのに… バブル崩壊に飲み込まれた不運なクルマ3選

くるまのニュース 2022年1月4日 16時10分

1990年に始まったバブル崩壊。そのころは、好景気のときに企画されたクルマや景気悪化に対処したクルマ、不景気疲れの当てが外れたクルマなど、翻弄されたクルマがありました。バブル崩壊に飲み込まれた不運なクルマにはどのようなモデルがあったのでしょうか。

■開発に時間がかかるクルマは急な路線変更が難しい

 現在の日本は「失われた30年」といわれますが、それでもこの30年間には好景気と不景気がありました。

 好景気はともかくとして、不景気には適切に対応しないと会社経営にも影響します。

 どの会社も対応策を取るものですが、対応の教科書があるわけでもなく、自社内で考えたり市場調査をしたりしながら対応しますが、クルマの開発は時間がかかるために、景気後退や人々の考え方の変化に対してすぐには対応出来ません。

 そのため、バブル期に企画された車種がバブル崩壊後にそのまま発売されたり、不景気に合わせた車種が市場に受け入れられなかったりするなど、時代感覚に合わないクルマが登場しました。

 バブル崩壊に飲み込まれた不運なクルマを、バブル崩壊初期、中期、後期に分けて3台紹介します。

●バブル崩壊初期:日産「シルビア(S14型)」

 日産「シルビア」は、S13型がバブル景気中に大ヒットしつつ、モデルライフの途中でバブル崩壊を迎えました。

 そして当時としてはやや長めの5年5か月のモデルライフの後、1993年10月にS14型へフルモデルチェンジされます。

 バブル期の人々はクルマに豊かなイメージを求めていたことから、S14型は「S13型に対して落ち着いた上品な雰囲気のスタイルや内装」で登場。バブル期のデートカー需要を考えれば、ごく当然のことです。

 しかもS13型後期の頃は、まだ「今は景気循環に伴う後退で、3年間も経てばまた景気が良くなる」といわれた時代であり、バブル期の企画でもいけると判断されたのでしょう。

 クルマとしてのスペックは、S13型のSR20DETエンジンとSR20DEエンジンをそれぞれ205馬力から220馬力、140馬力から160馬力にパワーアップ。ボディは3ナンバーサイズに拡幅されていました。

 これらエンジン出力の向上やトレッドの拡幅により走りの性能は確実に向上、スタイルの上でも余裕ある雰囲気を演出したのです。

 しかし、S14型に対する市場の評価は「肥大化」であり、決して良い評判とはいえませんでした。

 加えてバブル崩壊に伴う男性の収入減などによるデートカー需要低下もあり、1995年には目標販売台数が5000台から2500台へと半減してしまいます。

 そこでS14型は1996年6月に大幅なマイナーチェンジを実施し、路線を変更したのでした。

 フロントマスクは「ツリ目」とし、テールもワイドさを強調したものに変更。CMには当時人気だった女優の宝生舞さんを登用して強く印象付けました。

 その結果、この頃から盛り上がりを見せた「走り屋ブーム」と相まって人気はやや回復し、1997年1月には「SEシリーズ」、同年10月には専用ターボチャージャーと大型リアスポイラーを持つ250馬力の「オーテックK’s MF-T」を追加します。

 市場の動向をフィードバックし、デートカーから走りの性能を磨いたクルマへと路線変更して対応したのがS14型シルビアだったのです。

■バブル崩壊の中期・後期に翻弄されたモデルとは?

●バブル崩壊中期:マツダ「カペラ(GG型)」

 マツダの中型セダンであった「カペラ」は1970年に登場し、同社の中核車種として堅調なモデルライフを送っていました。

 カペラの評価は欧州で高く、各種の表彰も受け、日本国内でも自動車評論家から「まじめ」と評価されます。

 そのカペラは、バブルに伴って計画された「マツダ販売店網の多チャンネル政策」により、「クロノス」をはじめとした計7車種に分割されました。

マツダ6代目「カペラ」

 1991年10月登場のクロノスを皮切りに、5ドアハッチバックの「アンフィニMS6」とセダンの「MS8」、流麗な「ユーノス500」、四ツ目ライトの「オートザムクレフ」、日本フォード版の「テルスター」、クーペの「MX6」と大家族となったのです。

 いずれも入魂のデザインでしたが、ユーノス500以外は3ナンバーボディであったこと、V型6気筒エンジン中心のラインナップだったことなどから、贅沢が嫌われはじめた時期には受け入れられませんでした。

 V型6気筒エンジンは2リッターもあり、必ずしも3ナンバー課税ではなかったのですが、当時はぜいたくすぎると考えられた時代だったのです。

 そこでマツダは、クロノス継続中の1994年8月、廃止したカペラを復活させます。

 シャシはクロノスとユーノス500のものを改変した5ナンバーサイズとし、搭載エンジンも既存のものを低速型へと改良した115馬力の1.8リッター(FP-DE型)と、125馬力の2リッター(FS-DE型)の二本立てでした。

 きわめてコストダウンを優先した結果、1.8リッターの最廉価モデルでは149万8000円、2リッターの4WDでも204万3000円と、同クラスの日産「ブルーバード」と比べて約10万円程度安価に設定されていました。

 この安さも手伝い、カペラはほどほどに売れ、「デミオ」がヒットするまでのマツダの屋台骨を支えました。

 1994年半ば頃の景気はかなり悪化しており、名物社長が安売りをする電気店が話題になったり、酒やパソコンのディスカウントストアが多数出来るなど、とにかく「安いが一番」の時代だったのです。

 そんな時期に急遽復活したカペラは、趣味性やぜいたくさをなくし、清貧なモデルとしてクルマのマニアではない層に受け入れられ、1997年8月まで商品として真っ当なモデルライフを送るのでした。

●バブル崩壊後期:ホンダ「ロゴ(GA3・5型)」

 ホンダ「シティ」の後継モデルとして、1996年10月に「ロゴ」が登場しました。

 この頃になると景気低迷がごく普通のことになり、多くの人は「この不景気は本当に景気の循環によるものなのだろうか?」と疑問を感じるようになっていきます。

 前年1995年に阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件、1996年は山一証券の自主廃業や北海道拓殖銀行の経営破綻など、景気回復の要素は何もなかったのです。

 しかし不景気なりに時代を楽しむ空気が出て来るもので、邦楽がミリオンセラーを連発したり、漫画雑誌が最高発行数を記録したりしていました。

 不景気だからといって、日々の生活まで貧しくしない傾向があったことをうかがわせます。

 ロゴは、そんな不景気を十分に反映した内容で登場します。

 エンジンは1.3リッターSOHC2バルブと、スペック上はシティよりも退化したものでしたが、66馬力/5000rpm、最大トルク11.3kgf・m/2500rpmと、日常域の使いやすさを重視した低回転寄りの性能になっています。

 これに5速MTか3速AT、またはCVTが組み合わされ、カタログ数値を飾ることに捕らわれない、移動の道具としての目的を果たすクルマになっていました。

 一方でコストダウンもおこなわれ、前席のみパワーウィンドウのグレードが設定されていたり、前輪駆動モデルではフロントスタビライザーが省略されるなどしていました。

 フロントスタビライザーが装着されないと中・高速走行時のコーナーリング性能に難が出るものですが、走行性能までもがコストダウンの対象となってしまったのです。

 ここまでコストダウンが進むと、新車購入の喜びまでもダウンさせてしまったようです。

 1998年登場の後期型ではメッキ加飾が追加されたり、SOHC4バルブエンジン搭載の、走りも重視した「TS」グレードを設定し、コストダウンから転じた動きがみられてきました。

 しかし、ロゴの販売は好転することなく低迷が続き、2001年に生産を終了。

 同年にはシャシからエンジンまで新設計された後継車の初代「フィット」が発売され、空前の大ヒットを記録しました。

※ ※ ※

 クルマの開発は、前のモデルが登場したときに始まります。景気動向や前モデルの評判を加味しながら熟成、生産に着手するのですが、シルビアやクロノス系列は、景気の急変に対応できずに発売されたといえます。

 そしてカペラは3年弱で復活、シルビアも3年で大規模なマイナーチェンジ実施し、まずまずの成績を収めることが出来ました。

 一方、ロゴは景気が低迷してから企画されたことが明らかでしたが、景気低迷から約4年を経過した時期の人々は、「もう節約は飽きた」とロゴに興味を示さなかったといえます。

 いずれも時代の変化に飲み込まれ、変化を余儀なくされたクルマだといえます。

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