近年、ラインナップの減少が著しいジャンルのひとつである2ドアクーペですが、比較的高額なモデルは健在で、デザインも流麗なフォルムを採用しています。一方で、昭和の時代に隆盛を極めていたクーペというと、エッジの効いたデザインのモデルも存在。そこで、1970年代の終わりに登場したカクカクフォルムのクーペを、3車種ピックアップして紹介します。
■1970年代の終わりにデビューした特徴的な2ドアクーペを振り返る
現在、日本の自動車市場で売れ筋のクルマといえば、コンパクトカー、ミニバン、SUV、軽自動車で、ほぼこれら「四天王」によって占められています。
一方、それ以外の売れていないジャンルのひとつが2ドアクーペで、ラインナップも高額なモデル以外は絶滅が危惧されている状態となり、すでに市場から撤退しているメーカーもあります。
ニーズの変化によって人気が低迷しているクーペですが、昭和の時代には各メーカーから数多く販売され、まさに隆盛を極めていました。
そして、デザインも流麗なフォルムだけでなく、直線基調がトレンドだった時代にはエッジの効いたデザインのモデルも散見されていました。
そこで、1970年代の終わりにデビューしたカクカクフォルムの2ドアクーペを、3車種ピックアップして紹介します。
●トヨタ4代目「カローラ 2ドアハードトップ」
トヨタは1966年に「マイカー時代」の到来に合わせた大衆車、初代「カローラ」を発売しました。さまざまなニーズに対応するため、2ドアセダン、4ドアセダン、2ドアクーペ、ライトバンなど、多彩なボディラインナップを展開し、余裕あるパワーの1.1リッターエンジンを搭載したことも相まって、大ヒットを記録。
その後トヨタを代表するクルマとなり、代を重ねても豊富なボディラインナップは受け継がれ、1979年発売の4代目では、2ドアセダン、4ドアセダン、「ハードトップ」と呼称された2ドアハードトップクーペ、「クーペ」と呼称された3ドアハッチバック、ロングルーフで「リフトバック」と呼称された3ドアハッチバック、2ドア/3ドアのバンと、合計7タイプものボディが設定され、デザインはすべて当時の流行の直線基調を採用しました。
なかでもハードトップはシャープなノッチバックスタイルで、クーペとともに若者を中心に人気を獲得。
エンジンは1.3リッターと1.8リッターの直列4気筒OHV、1.5リッター直列4気筒SOHC、そして「GT」グレードには「レビン」(ボディタイプはクーペのみ)と同じく最高出力115馬力(グロス、以下同様)を発揮する1.6リッター直列4気筒DOHC8バブル「2T-GEU型」の4タイプがラインナップされました。
またGTにはレビンと同様に、ギヤ比16:1のクイックステアリング、リアスタビライザー付きのハードサスペンション、4輪ディスクブレーキ、本革巻きステアリング、ラジアルタイヤなど、高性能エンジンにふさわしいアイテムを装備していました。
そして1983年にレビン(AE86/85型)以外がFF化した5代目カローラが登場すると、2ドアクーペはレビンのみの設定となり、スタンダードなカローラはよりファミリーカー路線へとシフトしました。
●マツダ3代目「カペラ 2ドアハードトップ」
マツダは1963年に、大衆車の先駆けとなる初代「ファミリア」を発売。さらに1966年にはファミリアの上位に位置するセダンの「ルーチェ」が誕生してラインナップの拡充を進め、1970年にはファミリアとルーチェの間を埋める新たなモデルとして、初代「カペラ」がデビューしました。
ボディは4ドアセダンと2ドアクーペの2タイプを設定し、新開発の573cc×2ローター「12A型」ロータリーと、1.6リッター直列4気筒レシプロエンジンの2種類を搭載。
なかでもクーペはロングテールの流れるようなフォルムが特徴で、高い空力性能から「風のカペラ」のキャッチコピーが使われました。
その後1974年に、ボディは初代からキャリーオーバーしつつ、より洗練されたフロントフェイスとした、2代目が登場。
そして、カペラが最初の大きな転機を迎えたのが1978年に発売された3代目で、外観は直線基調のボディへと一新。引き続き4ドアセダンと2ドアハードトップが設定されました。
デザイン面では、空力性能をさらに向上させるためにボンネットを可能な限り低くし、直立した角型2灯ヘッドライトとグリルを傾斜させた変則スラントノーズを採用。その結果、2ドアハードトップは当時としては画期的なCD値=0.38を実現していました。
また、パワーユニットも大きく変わり、ロータリーエンジンを廃止して全車レシプロエンジンにスイッチ。当初は1.6リッターと1.8リッター直列4気筒SOHCエンジンのラインナップでしたが、1979年には最高出力110馬力を発揮する2リッターエンジンが加わりました。
3代目カペラはマツダにとって世界進出の布石となり、欧州を中心に海外での知名度アップに大きく貢献したといいます。そして1982年に、FFとなった4代目へフルモデルチェンジしました。
●日産6代目「ブルーバード 2ドアハードトップ」
かつて日産のラインナップの中核がセダンだった時代、「サニー」から「プレジデント」までフルラインナップ化され、あらゆるニーズに対応していました。
なかでも「ブルーバード」シリーズは「技術の日産」を象徴する存在で、初代は1959年に登場。新世代のセダンとして系譜がスタートしました。
その後もブルーバードは常に先進的なモデルとして代を重ね、スポーティな「SSS」グレードがイメージリーダーとなり、1979年には6代目の「910型」がデビュー。
910型 ブルーバードはバランスの良い直線基調のスタイリングを採用し、当初は4ドアセダンと2ドアハードトップの2タイプでしたが、発売から1か月後にはステーションワゴン/ライトバンが加わり、1982年には当時人気だったセンターピラーレスの4ドアハードトップも追加されました。
そのボディも洗練されていましたが、2ドアハードトップはスクエアなイメージのフロントフェイスとノッチバックボディとの対比が斬新でした。
エンジンは全車4気筒に一本化され、トップグレードの「2000SSS-ES」には電子制御燃料噴射装置を装備し、ツインプラグによる急速燃焼方式を採用した2リッター直列4気筒SOHC「Z20E型」エンジンが搭載されました。
さらに、発売から4か月後の1980年3月には、最高出力135馬力を発揮する1.8リッター直列4気筒SOHCターボエンジン「Z18ET型」を搭載した「1800ターボSSS」シリーズ登場。高性能化が一気に加速しました。
また、足まわりはフロントがストラット、リアにはセミトレーリングアームの4輪独立懸架とし、「ゼロスクラブ」と呼ばれるハンドリング重視のフロントサスペンションセッティングや、ラック&ピニオンのステアリング機構によるシャープなハンドリングが高く評価されました。
優れたスタイリングと走行性能を誇った910型 ブルーバードは、小型車クラスの新車登録台数で27か月連続1位を記録する大ヒット作となり、当時最大のライバルだったトヨタ「コロナ」を圧倒する販売台数を記録しました。
そして1983年に7代目の「U11型」へとフルモデルチェンジ。時代の流れから駆動方式がFFとなり、910型はシリーズ最後のFRでした。
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クーペ人気の低迷の理由としては、後席の居住性が劣る点や2ドアによる使い勝手の悪さが挙げられます。
しかし、かつてのセダンをベースにしたクーペでは、後席の居住性が比較的良好なモデルも多く、ファミリーカーとしても成り立っていたほどです。実際に2ドアクーペでも大きな不満は噴出していませんでした。
とはいえ、ミニバンやSUVのユーティリティの高さを経験してしまうと、もはや2ドアクーペは「趣味のクルマ」にならざるを得ないでしょう。