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都内の「環七/環八」はよく聞くけど… なぜ「環一から環六」は耳にしない? 「環●」と呼ばれない理由とは

くるまのニュース 2022年9月6日 9時10分

環状道路とはその名の通り、輪のように繋がっている道路を指します。東京都内では交通事情などで「環七」や「環八」は耳にしますが、「環一」から「環六」という名称を聞く機会はほぼありません。1番目から6番目の環状道路はどこにあるのでしょうか。

■「環七」や「環八」は聞いたことあるけど…「環一」から「環六」はどこにある?

 東京の主要道路のひとつである「環七」や「環八」。環状道路の7番目と8番目であることは容易に想像がつきますが、「環一」から「環六」はあまり耳なじみがありません。
 
 交通事情などで「環七」や「環八」は耳にしますが、「環一」から「環六」という名称を聞く機会はほぼありません。1番目から6番目の環状道路はどこにあるのでしょうか。

 首都圏に住む人であれば、「環七」や「環八」という道路の名を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

「環七」は大田区平和島を基点に、目黒区や世田谷区、杉並区、練馬区、北区、足立区、葛飾区などを経て、江戸川区臨海町に至る全長約52.5kmの都道です。

 一方の「環八」は、「環七」のさらに外側を走る全長約44.2kmの都道で、大田区羽田空港から世田谷区、杉並区、練馬区、板橋区を経て北区赤羽に至ります。

 どちらも、玉川通り(国道246号)や甲州街道(国道20号)、川越街道(国道254号)、白山通り(国道17号)などの主要な道路と接続しており、都心部の交通網を支える重要な道路です。

 そんな「環七」や「環八」ですが、「環状七号線」や「環状八号線」の略称であることはよく知られています。

 一方、「環一」から「環六」まではどこにあるのかということは、都内に住む人でもあまり知らないかもしれません。

 東京都心を中心とした8本の環状道路を構築する構想は、1927年に旧東京市が策定した「大東京道路計画」に盛り込まれており、1923年の関東大震災によって甚大な被害を受けた当時の東京の復興という意味合いが強くありました。

 それをベースとして設計された都心部の環状道路は、現在では正式名称を「東京都市計画道路幹線街路環状第◯号線」としており、1から8までの道路が指定されています。

「環一」として位置付けられているのが、千代田区馬場先門交差点を基点として皇居を一周する道路で、日比谷通りや内堀通りに相当します。

「環二」は、江東区有明を基点に、千代田区神田佐久間町へと至る道です。現在の外堀通りと重なる部分が多いほか、湾岸部には「環二通り」という名で呼ばれています。

「環三」は、現在の外苑東通りや言問通り、三ツ目通りに相当し、港区海岸から江東区辰巳を繋いでいる部分です。

「環四」は、港区高輪から江東区新砂までをつなぐ道路で、外苑西通りや不忍通りに相当します。

「環五」は港区南麻布から北区飛鳥山までをつなぎ、現在の明治通りとほぼ重なる部分となります。

 そして「環六」は、山手通りに相当し、品川区東品川から板橋区仲宿に至り、道路としては現在も存在しているのです。

■「環一」から「環六」はなぜ「環◯」と呼ばれない?その理由とは

 このように、1927年の道路計画のとおり、東京には「環一」から「環八」まで8本の環状線が存在しています。

 ただ、「環七」や「環八」を除けば、実際にはほとんどの道路は別の通称名で呼ばれています。

 その背景には、これらの道路のほとんどが実際には「環状」ではなく、それどころか未着手の区間も多いため、実際に道を走るユーザーからすれば、「同じ道」には見えないという事情があります。

 例えば「環三」では、文京区を走る区間のほとんどが未着手です。

 計画では目白通りの古川橋交差点から春日通りの小石川五丁目交差点まで接続される予定ですが、実際にはまったくつながっておらず、ひとつの道路という印象はありません。

 これは、1927年に道路計画が立てられて以降、日本は戦時下に入ってしまったために、道路整備が棚上げされてしまったことなどに起因しています。

 また、都心部の道路にはすでによく知られた通称名があったことも「環三」などの呼び方が定着しなかった理由と見られます。

かつての「環六」はいまでは「山手通り」と呼ぶのが一般的

 一方、「環七」や「環八」は、当初から幹線道路として十分な幅や設備をもって整備されたことや、元々の呼び名があったわけではないことから、現在の呼び名が定着したようです。

 ちなみに、現在では山手通りと呼ばれることの多い「環六」は、1970年代ころまでは実際に「環六」という名でも呼ばれていました。

 しかし、「山手通り」の名は少なくとも1930年代には用いられていた歴史ある通称名であったことから、現代では「環六」と呼ぶ人は少なくなったようです。
 
※ ※ ※

 都市の中心を取り囲むように環状道路を整備し、そこに放射状の通りを組み合わせるという都市設計は、東京以外の地方都市や、世界各国の主要都市でも見られます。

 例えば、中国・北京やロシア・モスクワ、フランス・パリでは、きれいな環状線が都市を取り囲んでいます。

 ただ、東京のように8本もの環状道路計画があった都市はめずらしく、それだけ東京は人の往来が多い都市であることがうかがえます。

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