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なぜ各地で「鎌倉街道」が存在する? 鎌倉市通らずも名称付けられる謎 1000年前の歴史的背景が理由か

くるまのニュース 2022年9月27日 9時10分

幹線道路のほとんどには「国道◯号線」や「県道◯号線」といった正式名称以外にも通称名で呼ばれることがありますが、なかでも関東圏のあちらこちらに「鎌倉街道」が存在します。なぜ鎌倉市を通っていないにも関わらず、その名が用いられるのでしょうか。

■なぜ「鎌倉街道」は鎌倉を目指していないのか

 道路の通称名は、その道路が通る地域やその道路の目的地、そしてそれに関連する名称が与えられることが一般的です。
 
 しかし、なかには「鎌倉街道」のように、鎌倉を目指していないにもかかわらず、その名が与えられている道路もあります。そこにはどんな背景があるのでしょうか。

 街を走る幹線道路のほとんどには「国道◯号線」や「県道◯号線」といった正式名称以外にも、通称名で呼ばれることがあります。

 幹線道路の周辺に住む人々にとっては、むしろ通称名のほうが親しみやすいということもめずらしくありません。

 これらの通称名は、その道路が通る地域やその道路の目的地、そしてそれに関連する名称が与えられることが多くあります。

 例えば、東京を通る国道を見ると、国道4号線は「日光街道」、国道14号線は「千葉街道」、国道20号線は「甲州街道」というように、目的地もしくはその旧称を表す名称が冠されています。

 また、国道246号線のように「青山通り」から「玉川通り」、そして「厚木街道」と地域によって名称が変わる場合も見られますが、基本的にはその道路が通る地域や目的地を表しています。

 こうした例に該当しない通称名を持つ道路もありますが、基本的にはその地域にゆかりのある名称であることがほとんどです。

 一方、全国にはその由来の不明確な通称名を持つ道路も少なくありません。

 その最たる例が、関東地方を中心に全国に見られる「鎌倉街道」もしくはそれに近い名称を持った道路です。

「鎌倉街道」の名称を持つ道路のなかで、もっとも有名なのは東京都府中市と町田市を結ぶ都道18号線です。

 また、杉並区を走る約3.4kmの道路や茨城県の牛久市道路にも「鎌倉街道」の通称名が与えられているほか、埼玉県日高市の交差点名にも「鎌倉街道」の名称を見ることができます。

 そのほか千葉県や群馬県、愛知県や岐阜県にも「鎌倉街道」の名称を持つ旧跡や史跡が見られるなど、その名称はかなり広範囲にわたっていることがわかります。

 これらの「鎌倉」は神奈川県鎌倉市を指しています。しかし、前述で挙げた「鎌倉街道」はいずれも鎌倉市を通っておらず、その点でいえば道路の通称名のルールからは外れています。

 ちなみに、鎌倉市を走る県道21号線と県道402号線には、それぞれ「鎌倉街道」と「かまくらみち」の通称名が与えられており、こちらはルールに合致しているといえます。

■1000年前の軍事道路だった?「鎌倉街道」がこんなに多い理由

 では、なぜ鎌倉市以外を走る「鎌倉街道」がこれほどまでに多く見られるのでしょうか。そこには、鎌倉を取り巻く歴史的背景が関係しているようです。

 現在でも伝統的な日本のたたずまいを残している鎌倉は、日本の歴史においても重要な役割を持っている街です。

 創設年については諸説あるものの、1185年に源頼朝が相模国鎌倉(現在の鎌倉市)に幕府を開いたことで、そこからおよそ150年にわたる鎌倉時代が始まります。

 ただ、関東地方の武士たちによって作られた鎌倉幕府にとって、京都を中心とした朝廷勢力は依然として脅威となっていました。

 そこで、鎌倉幕府は朝廷勢力などが侵攻してきた際に、関東の御家人たちがすぐに鎌倉へと集合することができるように、鎌倉を目指す複数の軍事道路が整備されます。

 当時、鎌倉幕府の支配下にあった「東国15か国(現在の静岡県、長野県、山梨県、千葉県、栃木県、茨城県、福島県、山形県、秋田県、宮城県、岩手県、青森県)」の御家人たちが交代で鎌倉幕府を訪れたため、鎌倉を目指す軍事道路はこれらの国を経由する形となりました。

東京都杉並区下高井戸にある「鎌倉街道」を示す石碑 (C)Google Map

 なかでも「上道」「中道」「下道」と呼ばれる3つの道路は、非常に重要な役割を果たしたといわれています。

 この3つの道路は比較的大きなものだったとされていますが、これ以外の道路の多くは、軍事道路という性格上、林のなかをひっそりと走る目立たない道だったといわれていますが、これらはすべて鎌倉を目指しているという意味で、「鎌倉街道」と呼んで差し支えない道です。

 しかし、これらの道のほとんどは軍事道路として活用されることはなく、江戸時代に入ると、近くの街と街をつなぐ生活道路としての性格を強めてきました。

 また、もともと目立たない道が多かったということもあり、より大きな街道に吸収されたり、あるいは道自体が消滅してしまった例も少なくないようです。

 つまり、鎌倉時代には、文字通り鎌倉を目指していた「鎌倉街道」が無数にあったものの、その後の歴史のなかで分断されてしまい、現代では細切れのようになって各地域に残されているということのようです。

 実際、現代に残る「鎌倉街道」のほとんどは、当時整備されていた軍事道路と部分的に重なるようです。

 このように考えると、もともとは鎌倉を目指していたという意味で「鎌倉街道」の通称名は決してルールから外れていないといえそうです。

※ ※ ※

「鎌倉街道」のように、日本の歴史と深く関わる道路は数多くあります。

 普段通り慣れている道が、歴史的にはどのような役割を持っていたのかを調べると、いつもの道がまた違った風景に見えるかもしれません。

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