トヨタは水素エンジンの技術をモータースポーツの場で開発していますが、どのような経緯で始まり、そしてどのようなアピールをしているのでしょうか。
■トヨタが進める水素技術の革新… 「水素=安全」を証明し続ける手段とは
トヨタは「カーボンニュートラルに全力で取り組む」と公言、その上で「実現に向けた道筋は一つではない」とマルチパスウェイ戦略を掲げています。
それを象徴するユニットが、現在モータースポーツの場で開発が進められている水素エンジン(HICE:ハイドロジェン・インターナル・コンバッション・エンジン)です。
その目的は「未来のエネルギーとして期待される水素を活用し、100年以上に渡り進化を遂げてきた内燃機関の更なる可能性を探る」です。
実は水素エンジン、トヨタでは以前から先行開発が進められていたものの、どちらかと言えばリストラ候補的な存在でした。
そこに光を当てたのが、当時GRカンパニーのプレジデントだった佐藤恒治氏です。
「研究自体は以前から行なわれていましたが、『車両としてまとめる』は進んでいなかったのが事実です。
とはいえ、環境技術ながらも音や振動……要するに“クルマ感”が出せると思って試作車を作り、豊田社長に軽い気持ちで乗ってもらおうと思って持っていったら、いきなり『レースに出よう』と(驚)」(佐藤恒治氏)
実はその提案をしたのが、WECチームの代表兼ドライバーの小林可夢偉氏でした。
「豊田社長と一緒に蒲郡の研修所で試作車に乗りました。
ダートで走らせましたが、トルクの足り上がりが非常にスムーズで、逆にダートではガソリン車よりも向いているかも……と思ったくらいです。
僕はWECをハイブリッドで戦っていますが、『ハイブリッド=プリウス』のイメージが強かった事もあり、『スポーツにも使える』を証明するまで時間がかかりました。
水素エンジンはBEVと違って音がします。これはモータースポーツとカーボンニュートラルが共存できると直感しました」(小林可夢偉氏)
水素エンジンでのレース参戦を決断した豊田氏は「モータースポーツは量産車に対して時間軸が圧倒的に速い事、限界が本当に解ります。そのような場で未来の技術を試し、アジャイルに開発を行ない現実のものにしていかないと、未来なんてすぐにやって来ません」と語っています。
そんな水素エンジンの初陣は2021年5月のS耐富士24時間耐久レースでした。
当初はBEV一辺倒の風潮で、水素エンジンはある意味「孤高の存在」。
マシンもトラブルが続出し完走させるだけで精一杯でした。しかし、この挑戦の第一歩がトリーガーになり、同じ意思・想いを持つ仲間が次々と増えてきました。
つまり、豊田氏の「意志ある情熱と行動」に多くの人が共感したと言うことです。すると、世の中の流れも少しずつ変わりはじめてきました。
並行して水素エンジンも飛躍的に進化を遂げていきます。
初戦は水素エンジン最大の問題「異常燃焼」を抑える事に精一杯でガソリン車に対して出力は劣っていましたが、レースを重ねるごとに開発は進められ、半年後にはガソリン車を超える出力を実現。タイムも飛躍的に向上を果たしました。
翌2022年は「異常燃焼」と「出力向上」の二つの課題に挑む一方、燃料電池車(FCEV)「ミライ」の物を流用した水素タンクの搭載量はそのままに、エンジンや水素充填などのカイゼンにより1回の充填での「航続距離」を更に伸ばす挑戦もスタート。
各レースでの走行距離は昨年よりも確実に伸びています。
そして、2023年は燃料を気体水素から液体水素へ変更。この試みは世界初となります。
5月に開催された富士24時間耐久レースでは、燃料ポンプの耐久性に懸念があり2回の計画停止で燃料ポンプ交換を行なっての走行でしたが、それ以外はクルマ側のトラブルは無く安定した走行を行ないました。
もちろん、ここがゴールではないので開発はまだまだ続きます。
■海外でも水素エンジンをアピール! ル・マン24時間ではどうだった?
そんな水素エンジンは海外へのアピールも行ってきています、
ひとつは2022年8月のWRCベルギーでデモラン(この時はGRヤリスの開発車両)、そして同年12月に行なわれたタイ25時時間耐久レースへの参戦です。
そして2023年、再びその機会がやってきました。そのステージはル・マン24時間です。
ル・マン24時間では決勝前にはさまざまなイベントが行なわれますが、その中のひとつである「ミッションH2(安全で効率的なエネルギーとしての水素の導入を推進活動)」のデモランで水素GRカローラが走行を行ないました。
マシンはS耐とタイ25時間レースを走っていた水素GRカローラ(気体水素のマシン)でカラーリングはタイのレースに出た仕様のままです。
ドライバーは「水素=危険」から「水素=安全」へとイメージを変えた張本人モリゾウ選手(豊田章男氏)です。
デモランと言ってもパレードのような走行ではなくレーシングスピード。
そのため、モリゾウ選手は2日間に渡りトヨタのチームホスピの2階にあるシミュレーターを用いて特訓。
最初はコースを覚えるのに精いっぱいでしたが、その後の特訓で小林可夢偉選手から「これならバッチリです」とお墨付きを受けるほど上達したそうです。
デモランは僅か1周でしたが、見ている限りはいいペースで走行していたようで、コースサイドの観客も興味津々で注目度は高く感じました。
実はこのデモランはACOがグリーンGTと共同開発するFCEVのプロトタイプマシン「LMPH2G」も走行したのですが、このマシンとの最大の違いは「音」。
LMPH2Gはモーター走行のため音がしない(ロードノイズなどは聞こえる)ため、マシンの発進・接近・通過が解りにくいです。
それに対して、水素GRカローラは控えめな音量(S耐仕様なので)ながら乾いた心地よいサウンドがル・マンのコースサイドまで響き、その存在が誰でもわかります。
■水素エンジンを世界にアピール! S耐久からル・マン24時間まで
ルマン24時間レースでの走行後にモリゾウ選手を直撃してみました。
ーー 1周のデモランでしたが、どうでした?
モリゾウ:事前にシミュレーターで練習していたので、ル・マンの道を不安なく普通に走る事ができました。
減速する所、踏む所はシッカリと……ね。ただ、欲を言えばもう1周走りたかったですね。
ーー やはり「音」がするのがいいですね
モリゾウ:私には心地よい子守歌に聞こえましたが、観客の方にも解っていただけたと思います。
やはり、モータースポーツにおける音は非常にエキサイトメントのエッセンスの一つである事は間違いないと思いました。
ーー 水素エンジンのモータースポーツ投入は2021年。あれから僅か2年でル・マンを走るとは夢にも思いませんでした。
モリゾウ:僕だって想像できませんでしたよ。これまでアジャイルにずっと続けてきた結果だと思います。
この走行、日本では涙を流している人もいると思います。しかも、ルーキーレーシングのあの車体(GRカローラ)で走ったことが大事です。
ーー 日本が育ててきた水素エンジン、もっと話題になってほしいです。
モリゾウ:単なる試作車が走ったのではなく、実戦を重ねてきたクルマがル・マンを走る。
これは大きな一歩ですよ。このマシンはS耐が育ててくれたと言っても過言ではないので、S耐に出ている人みんなに、何かしらの“同士感”をもって欲しいですね。
そして、もう1人は小林可夢偉選手です。実は走行時は別の場所でモニター越しに見ていたそうですが、いてもたってもいられず自ら自転車でピットまで来ました。
ーー 水素エンジンとモータースポーツ、その可能性をいち早く見抜いたのが可夢偉さんだったと思います。
小林:当時は確信がなかったので「トライすべきじゃないか?」と言った感じでしたが、多くの人に認められ、この技術をル・マンでお披露目できた事は嬉しいです。
ーー まさに、意志ある情熱と行動の賜物です。
小林:モリゾウさんが行動を起こし、仲間が増えた。これって「何が正しいか?」を信じてきた結果だと思います。
この技術が日本だけでなく世界でも認めてもらえるように、そしてこの技術が「可能性がある」と言うことを更に理解してもらえるように活動していきたいと思っています。
ーー モリゾウさんに提言した「言い出しっぺ」としてどうですか?
小林:所属するドライバーの一言に「これは確かにそうかもな!?」と思ってくれた事が凄いですよね。
モリゾウさんは一つ一つの会話をシッカリと読み取ってくれますが、「これはそうじゃないよ」と厳しい事も言われますよ。
ーー その判断力も素晴らしいですよね。
小林:ただ、僕らはそこに甘えるのではなく、「自分達ができる事」を常に考えていくことこそが、水素の未来を一日でも早く実現できる事だと信じています。
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豊田氏は常日頃から「水素社会の実現は『つくる・はこぶ・つかう』の仲間づくりが大事」と語っていますが、今回のデモランは日本だけでなく、世界の仲間が増えるキッカケになったのかもしれません。
すでにトヨタはル・マンで水素エンジン+ハイブリッドを搭載した「GR H2 Racing Concept」を発表しました。2026年に実戦投入されるかどうかは解りませんが、「カテゴリーが作られた」と言う事は、ライバルの参入もあるでしょう。
風のウワサではトヨタが水素エンジンのアピールをし始めてから、「実は我々も……」と手を上げているメーカーも数多いそうと聞きます。
「音はするけど、ガソリン臭くない」、そんなル・マンの時代がやってくることに期待です。