日産はミッドシップスーパースポーツカー「MID4」を東京モーターショーに出展しました。現実味の高い仕上がりで市販化間近ともいわれていた「和製スーパーカー」について振り返ります。
■本来は世界ラリー選手権向けのプロトタイプ車両だった!?
日産は、第26回および第27回の「東京モーターショー」に、ミッドシップの「和製スーパーカー」といえるハイパフォーマンスなスーパースポーツカーを出展しました。
どのようなクルマなのでしょうか。
日産が東京モーターショーに相次いで参考出品したスーパーカーは、「MID4(ミッドフォー)」と「MID4 II(ミッドフォーツー)」です。
1985年秋、日産はプロトタイプ車両であるMID4を、ドイツ・フランクフルトモーターショーと第26回東京モーターショーに相次いで参考出品しました。
当時を知る日産関係者は、以前の取材で次のように話します。
「もともとは、世界ラリー選手権(WRC)参戦に向け、当時新設される予定だった新カテゴリ向けに開発されたプロトタイプ車両が発端でした」
乗員の後部にエンジンを横置きし、後輪を駆動させるミッドシップ(MR)レイアウトを採用した2人乗りのスポーツカーです。
車体外板にはFRPを採用してデザインの自由度を高めているといい、ショーモデルとはいえ非常に現実的な内外装の仕立てとなっていました。
搭載されるのは3リッター V型6気筒「VG30DE」型DOHC 自然吸気エンジン。翌1986年に「レパード」や「フェアレディZ」に採用された最新鋭のものを初公開しています。
車名の「4」は四輪駆動を意味し、当時のスーパースポーツカーとしては珍しいフルタイム4WDを採用し、四輪操舵システム「HICAS(ハイキャス)」と組み合わされました。
その現実的な仕立てに対し、市販化を期待する声も多く上がりましたが、日産ではあくまでもプロトタイプであるとして否定しています。
■わずか2年で「フルモデルチェンジ」!?
MID4初公開から2年後の1987年10月に開催された第27回東京モーターショーでは、1985年出展モデルとは全く別のMID4(通称MID4 II)を参考出品します。
前回の“初代”から大きく進化したデザインやパワートレインを搭載したこともあって、再び大きな話題を呼びました。
MID4 IIのボディサイズは全長4300mm×全幅1860mm×全高1200mm、ホイールベースは2540mmです。
2代目はアルミボディ化。当時の資料によると車両重量は1400kgと記載されており、スーパースポーツながら軽量化にも配慮されていたことがうかがえます。
搭載されるパワートレインも大幅にパワーアップ。
最高出力330ps、最大トルク39.0kgf-m(382Nm)を発揮する3リッター V型6気筒「VG30DETT」型DOHC インタークーラー付ツインターボエンジンへ増強されました。
さらにエンジン搭載位置も、イタリアのスーパーカーが採用する本格的な縦置き式レイアウトへ変更されている点も注目されます。
駆動方式は、ビスカスカップリング付センターデフ式フルタイム4WDで、サスペンションは前がダブルウィッシュボーン式、後ろが新開発のマルチリンク式で、初代同様にHICASと組み合わされます。
当時の日産はMID4 IIについて次のように説明しています。
「(MID4は)運動性能を追求することを目的とした研究実験車として、実用レベルの最高技術を結集してレベルアップを図り、動力性能、高速時の操縦性・走行安定性、旋回性能などハイレベルの運動性能を実現しています」
実際にMID4 IIは、“研究実験車”として走行可能な車両が複数用意されていました。
試験走行のほか、自動車メディア向けにテストコースで試乗会も開催。初代以上に市販化の噂がかなり盛り上がりをみせました。
前出の関係者によれば、実際に社内で市販化の検討も行われたといいます。
しかし残念ながら計画は中止され、開発された最新技術が1989年に相次いで登場した「スカイラインGT-R」(BNR32型)や「フェアレディZ」(Z32型・4代目)に生かされています。
※ ※ ※
ホンダは1989年、V型6気筒エンジンを積んだ「アキュラ NS-X」をモーターショーに出展し、1990年には「NSX」名で市販化したほか、トヨタも「MR2」を販売するなど、国産各社がMRレイアウトのスポーツカーに取り組んでいた時代でした。
もし日産がMID4を市販化していたら、NSXがそうだったように世界のスーパースポーツカーの勢力図に影響を与えていたかもしれず、さらには日産の4WDスーパースポーツカーとして2007年に発売を開始した「GT-R」(R35型)も登場していなかったかもしれません。