全国各地には「●●銀座」という場所が存在していますが、東京都中央区銀座は、日本を代表する高級繁華街として日々多くの人でにぎわっています。そもそも、なぜ「銀座」と呼ばれるようになったのでしょうか。
■高級繁華街の代名詞「銀座」、その由来は?
日本有数の高級繁華街として知られる東京・銀座。
東京都中央区銀座は、日本を代表する高級繁華街として日々多くの人でにぎわっています。
そもそも、なぜ「銀座」と呼ばれるようになったのでしょうか。
1900年代初頭にはすでにその地位を築いていた銀座ですが、当初から高級繁華街として街が形成されていったわけではありません。
かつては入り江であった銀座は、1603年に江戸幕府が樹立したことでその歴史がはじまります。
江戸城に比較的近いという理由などから銀貨の鋳造所が置かれたことが、「銀座」という名称の由来とされています。
そんな銀座ですが、1872年に起こった「銀座大火」によって街の大部分が焼失してしまいます。
防火や防災という課題が浮き彫りとなった銀座に対し、当時の東京府知事であった由利公正氏はレンガ造りの建造物や道路を中心とした都市計画を立案します。
その結果、銀座は西欧風の美しい街並みを手に入れることになり、それにともなって日用品を販売する小売店が多く集まるようになりました。
当時の銀座の主要顧客となっていたのは、都心部に住む上流階級でした。
さらに、明治維新後には中流階級の人々が増加し、銀座はそれまで以上ににぎわっていくことになります。
その後、関東大震災や第二次世界大戦を乗り越え、戦後には多くのクラブやバーが立ち並ぶようになり、現在の銀座の姿が形成されていきました。
ちなみに、日本全国を見渡すと「金座」や「銅座」といった地名を見つけることができます。
たとえば、静岡県静岡市葵区には「金座町」という地名があり、日本銀行静岡支店が置かれています。
また、長崎県長崎市には「銅座町」があり、こちらは多くの飲食店でにぎわう繁華街として知られています。
いずれも、かつては幕府の管轄の下、金貨や銅貨(棹銅)などを製造する場所だったことに由来しています。
■無数にある「●●銀座」、そのなかでも「戸越銀座」は特別な関係
一方、「●●銀座」と称する場所は、「金座」や「銅座」に比べてはるかに多く存在します。
特に、商店街に対してその名が用いられることが多く、東京都北区の「十条銀座商店街」や静岡県熱海市の「熱海銀座商店街」などをはじめ、全国には300を越える「●●銀座商店街」があると言われています。
言うまでもなく、そのほとんどは東京都中央区にある銀座にあやかって名付けられたものです。
「●●銀座」の元祖とされているのは、東京都品川区にある「戸越銀座商店街」です。
全長1.3kmにおよぶその商店街には400を超える店舗が並んでおり、そのにぎわいは本家の銀座に勝るとも劣らないものとなっています。
ただ戸越銀座商店街は、単にブランドネームとして「銀座」の名を冠しているわけではありません。
戸越の商店街が「銀座」の名を関するようになったのは、1923年に起こった関東大震災以降のこととされています。
上述したように、当時の銀座は防火・防災対策のために、レンガ造りの道路が採用されていました。
しかし、関東大震災によってその多くが損壊したことから、当時最先端だったアスファルトで舗装した道路で復旧されることになります。
一方、戸越は低地に位置していることから、当時は慢性的な冠水に悩まされていました。
そして、その対策として水はけのよいレンガで舗装がおこなわれることになり、そこには銀座で使用されていたレンガが用いられました。
その結果、戸越はほかの地域と比べていち早く復旧が果たされることとなり、その感謝の念を込めて「戸越銀座」の名を与えられたとされています。
ちなみに、戸越銀座商店街の東側には「戸越銀座銀六商店街」がありますが、当時レンガをもらいに訪れた場所が銀座6丁目であったことに由来しているようです。
このように、戸越銀座と本家の銀座には並々ならぬ特別な関係があったことがうかがえます。
※ ※ ※
かつての江戸には、銀座のすぐそばに「金座」と呼ばれる場所がありました。
実際に金座(=金貨の鋳造所)が置かれていたその場所は、現在では日本橋本石町へと名称を変えていますが、その跡地には日本銀行本店が置かれており、かつての名残を感じることができます。