2008年に「北米国際自動車ショー」で発表されたマツダのコンセプトカー「風籟(ふうらい)」。どのようなクルマだったのか今一度振り返ってみます。
■まるでレーシングカー!? マツダ「風籟」とは
マツダ「風籟(ふうらい)」は、2008年にデトロイトで開催された北米国際自動車ショーに出品されたマツダのコンセプトカーです。
スーパーパフォーマンスカーを表現した風籟は、マツダの「スポーツカースピリット」を押し出したスタイルで話題になりました。事故によって焼失という最期を遂げた風籟の軌跡を辿っていきます。
当時、マツダのデザインコンセプトには、「静止しているときも動きを感じさせるような表現方」として「Nagare(ながれ)」デザインがありました。そのデザインを持って2006年のロサンゼルスオートショーで初公開されたのがコンセプトカー「流(ながれ)」です。
さらに、2007年の北米国際自動車ショーで「琉雅(りゅうが)」、ジュネーブモーターショーで「葉風(はかぜ)」、東京モーターショーで「大気(たいき)」と、次々と流動的な動きを曲面で表現したコンセプトカーを発表。
風籟はそんな「Nagare(ながれ)」デザインコンセプトカーの第5弾でした。名前の風籟には「風の音」という意味があり、疾風となって進むレースカーをイメージして付けられています。
ベースには、2005年~2006年にかけて「アメリカン・ル・マン・シリーズ」に参戦していた「クラージュ C65 LMP2」のシャシーを採用しました。
流線型の流れるようなデザインは、コンピューターを使用して液体や気体の流れを予測する数値流体力学が採用されています。これにより最大限空力性能を引き出すことを可能にしました。
エクステリアは前作の大気を踏襲。特徴的だったリアタイヤは、走行性能の向上から通常のクルマに近い形状に変更されています。低重心で美しく流動的なラインを描くリップスポイラーから、フロント全体に伸びるブルーのライトが幻想的な雰囲気を醸し出しています。
リアに取りつけられた大きめのウイングは、ボディの流線形と一体化され違和感がありません。マフラーはロータリーエンジンを象徴する三角形でかたどられ、マツダが誇るロータリーサウンドを響かせていました。
ボディには「55」のナンバーがあしらわれ、1991年に行われた「ル・マン24時間レース」で日本初の総合優勝を勝ち取ったレースカー「787B」への敬意の表れを感じます。
ドアは跳ね上げ式になっており、まさにスーパーカーの風格が備わっています。
インテリアはミニマムなレーシングカーそのものの2シーター。バケットシートには「SPARCO(スパルコ)」の4点式のシートベルトが採用され、ステアリングホイールも同社製で走行性能にこだわりがあることがうかがえます。
ブラックボディを引き立たせる室内も黒を基調に赤のカーボンでアクセントが入れられました。
ボディサイズは全長4563mm×全幅1956mm×全高977mm。
パワートレインに採用されたのは3ローターのロータリーエンジンです。最高出力は456psを発揮。また燃料は環境に配慮した「BP社」製のエタノールを使用していました。
車両重量は675kgと軽量なことからも、高い走行性能であったことはいうまでもありません。
コンセプトカーであるにもかかわらず、レース走行も可能だった風籟についてマツダは「Zoom-Zoomの具現化」と表現していました。
サーキットと一般道の間にある超えられない境界線を越えたい、そんな思いを込めて作られた唯一無二の一台です。
マツダはレースに出場させることは考えていなかったようですが、風籟の名前の由来となる風の音やエンジン音を ドライバーが体感できるクルマを目指して作られたともいえます。
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そんな風籟ですが、2008年に不慮の事故により焼失し、幻のモデルとなってしまいました。
英国の自動車メディア「Top Gear(トップギア)」が20周年記念企画として行った走行テストで火災が発生し、全焼。原形をとどめるだけの無残な姿へと変わり果ててしまったのです。
2008年に焼失していた風籟の衝撃の事実が発表されたのは、事故から5年後だったこともあり、当時は大きな話題となりました。不運の最期を迎えた風籟ですが、大きな夢を見せてくれたクルマとして記憶に残る一台です。