人気スーパーカーとして名を轟かせているランボルギーニ。そんなランボルギーニをダンボールを使って実物級に再現した「ダンボルギーニ」が一躍話題となりました。一体どのような経緯で誕生したのでしょうか。
■ダンボールで作られたランボルギーニ!? 超絶インパクトをもつダンボルギーニに込められた復興への想い
人気スーパーカーの代表格的存在を示している「ランボルギーニ」。
2015年、そんなランボルギーニをダンボールを使って再現した「ダンボルギーニ」が登場し注目を集めました。
一体どのような経緯で誕生したのでしょうか。
ダンボルギーニを制作したのは、宮城県石巻市に本社を置く今野梱包株式会社です。
今野梱包会社は、トライウォールと呼ばれる強化ダンボールを取り扱っています。
これは世界で最も厳しい規格と呼ばれる米国連邦規格PPP-B-640dに適合したもので、その強度の高さが窺えます。
素材も森から調達されたバージンパルプとリサイクルペーパーが使用されており、環境に配慮した持続的な生産が実現されています。
ダンボールをメインに取り扱っている今野梱包株式会社が、なぜランボルギーニを再現するという企画にとりかかったのでしょうか。
その背景には、2011年3月11日の東日本大震災があります。
宮城県石巻市は、震災によって大きな被害を受け、今野梱包株式会社も被災しました。
全国からの支援のもと、少しずつ石巻市の復興は進んでいきましたが、その一方で若者たちは進学や就職に伴って続々と街をでていくことに。
その現状を危惧した社長の今野氏は、もっと自分たちの街に「夢」を見せるべきだと考えます。
そこで、自分の夢や憧れを形に示すために、今野氏が幼い頃から憧れていたランボルギーニをダンボールで再現することを決意し、ダンボルギーニ・プロジェクトが始動したのです。
ランボルギーニの実物は手元にないため、設計はネットの画像やラジコンをもとに、16分の1サイズから製作をはじめ、ついで2分の1サイズに大きくしていきました。
また、製作の過程では、ダンボールならではの硬さや厚みにどう対処するか苦労したようです。
硬く厚みがあるダンボールは、紙のように曲げることができず、また折り曲げたり重ねたりするときの厚みも細かく計算しなくてはなりませんでした。
特にタイヤ部分には苦戦したようですが、それでも溝1本1本やホイールのディテールまで本物に寄せるようにしたとのこと。
製作においてこだわった点について、今野氏は次のように話しています。
「部分的にこだわり過ぎると全体のイメージが歪になったりするので、何度も作り直しや部分試作をおこないフォルムの再現度にこだわりました」
紆余曲折を経て完成に到達したダンボルギーニは、今野氏のこだわりにより鮮やかなピンクがボディカラーとして採用されました。
完成後、女川町で復興計画の一環として建設された商店街に展示され、復興の象徴として注目を集めるようになります。
さらに、女川街本物のランボルギーニとの共演も実現し、復興活動に大きな印象を残しました。
■航空際にも展示!愛され活躍したダンボルギーニの発展と現在とは
震災復興の象徴ともなったダンボルギーニは、見る人に強いインパクトを与えました。
今野氏は次のように話しています。
「一様に思わず出た感嘆の声が何度も聞けたことが嬉しかったです。
上皇さま上皇后さまにも展覧していただく機会に恵まれましたが、両陛下も同様に感嘆の声を発せられておりました」
大きな反響を呼んだダンボルギーニは、展示開始後から復興の象徴として、発展を遂げていきました。
本物のランボルギーニとのコラボをきっかけに、より実物に似せるために、2号機の製作を開始。
2016年12月に東京ビッグサイトで開かれた環境関連見本市「エコプロ2016」に展示されました。
さらに、「ランボルギーニの実車を使用したダンボルギーニのレプリカ」として3号機が登場。
これは、実物のランボルギーニを購入し、ダンボルギーニの象徴である鮮やかなピンクカラーにラッピングしたものです。
そして、この2号機と3号機は過去に航空自衛隊松島基地の航空祭にも展示されました。
当時のことについて、今野氏は次のように話しています。
「基地司令直接の依頼でダンボルギーニを基地内に、まさに航空祭のその日に展示をさせていただきました。
自衛隊関連機器・機材が展示されることはあっても、それ以外のものが一緒に展示されることはたぶん今までの日本国内の政府主催の自衛隊関連イベントでそのようなことが行われたことはないと思います。
ある意味驚愕の奇跡を起こせたものと感じております」
展示のきっかけは、今野氏がフザけ半分・本気半分で「航空祭の時にブルーインパルスと俺のランボルギーニ(ダンボルギーニ3号機)を競争させてくれないか…」とつぶやいていたことが発端だったとのことです。
さすがにそれは実現不可能でしたが、今野氏は時が経ってもいまだにその夢は潰えてはいないと語っています。
数多のイベントに展示され多くの人の目を引き続けてきたダンボルギーニ。今後について、今野氏は次のように話しています。
「イベントの企画は弊社から仕掛けることはないかもしれません。
基本的に一昨年の11月をもってダンボルギーニのコンテンツに幕を引いております」と答えました。
ダンボルギーニは「震災復興の象徴」と表現され、女川の観光資源のひとつとして活躍してきています。
しかし、その「象徴」がいつまでもあってはいかがなものかという考えが芽生えはじめ、「震災復興の象徴」は「震災復興の思い出」に変えなければいけないと判断。
経済白書に書かれた戦後11年をもって「もう戦後とは言わない」との一文に倣って、ちょうど震災後11年を迎えた年に幕を引くという決断をしたのです。
よって、ダンボルギーニを使用したイベントの企画はその方針からそれてしまうということで、現時点では考えていないとのこと。
ただ、「地域の想いや要望の内容によっては、お役に立つのであれば検討の余地はある」とも話しています。
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震災復興の象徴として活躍したダンボルギーニ・プロジェクトは惜しまれながらもその歩みに区切りがつけられました。
現在、1号機は女川町に無償貸出されており、庁舎内で展示されています。
2号機は今野梱包株式会社が保管しており、3号車はいまでも何かの機会で人の目を楽しませたり、地域の次世代の夢のために街を走行したりしているようです。