1989年に発表されたいすゞのミッドシップスポーツカー「4200R」は、美しいデザインと高性能、実用性を兼ね備えたコンセプトカーでした。現在でも、市販されなかったことを惜しむ声が聞かれます。
■いすゞがスーパースポーツカーを製作していた!
世界に誇るトラック・バスメーカーのいすゞは、2002年に乗用車の販売から完全に撤退して、現在は商用車専業のメーカーとなっています。
しかし、かつて乗用車の販売を行なっており、「ベレット」「117クーペ」「ジェミニ」「ピアッツァ」「ビッグホーン」など数多くの名車を生み出しました。
そのため、乗用車のコンセプトカーを数多く発表していました。そのひとつが、1989年の東京モーターショーに出展されたミッドシップスポーツカー「4200R」です。
いすゞの乗用車の多くは後輪駆動(FR)か前輪駆動(FF)、もしくは4輪駆動(4WD)で、ミッドシップレイアウトのスポーツカーは1969年のコンセプトカー「ベレットMX1600」など、ごくわずか。
そのため、ミッドシップのスーパースポーツカーだった4200Rは、大きな話題を呼びました。
4200Rは、欧州の伝統的なスポーツカーのスタイルや高性能のイメージを開発コンセプトに置き、流麗なボディで身を包んでいました。直線的な造形や派手なエアロパーツの装着はなく、エレガントで先進的なフォルムとディティールで構成されています。
4200Rのデザインは、のちに日産のチーフデザイナーを務め、当時いすゞに在籍した中村史朗氏や、いすゞと同じく同時期にGMの傘下にあったロータスのデザイナー、ジュリアン・トムソン氏などが手がけました。
フロントには低い位置にダーク処理されたヘッドライトを構え、リアオーバーハングはミッドシップスポーツカーとしては長く、独特のサイドビューを形成。
しかも4200Rは、ミッドに巨大なV型8気筒エンジンを収めつつ2+2の4人乗りで設計されており、しかも小さなリアドアまで備えていたのです。センターピラーは存在せず、リアドアは斜め後方に向かってスライドするように開いて、リアシートへのアクセスを向上させました。
リアシートは子供用と割り切られていたものの、ミッドシップスポーツカーにおける+2の空間は実用的なため、4200Rは実用性が高い長距離ツアラーとしての性格も有していたといえます。車体寸法は全長4630mm×全幅1910mm×全高1350mmほどで、ホイールベースは2690mmとアナウンスされていました。
シート後方に横置き搭載されるエンジンは新開発の4.2リッターV8で、トランスミッションは5速マニュアルが組み合わせていました。
足回りにはロータスと共同開発のアクティブサスペンションが採用され、乗り心地の良さと高い操縦安定性の両立が図られています。
奥に向かって傾斜するダッシュボードは、エクステリアに比べると思いのほか現実的なデザインですが、透明なキャノピー風のメーターカバーなどに、SFメカの意匠のような個性的な造形が見られました。
コンセプトカーだけあって室内の装備は最先端で、カーナビゲーションシステム、高音質サウンドシステム、ビデオプレーヤーを備えたほか、なんとファクシミリまで搭載されていたといいます。
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いすゞ4200Rは市販化が期待されたものの、残念ながら実現しませんでした。
4200Rが現れた1989年といえば、ホンダ「NSX」、日産「スカイラインGT-R」(BNR32型)、マツダ「ユーノス ロードスター」が誕生した“ヴィンテージイヤー”です。
もし4200Rが販売されていたら、そんなヴィンテージイヤーに生まれたスポーツカーとして、長く記憶に残る名車となっていたに違いありません。