世界の道路には「左側通行」と「右側通行」が混在していて、海外へ行くと困惑することがあります。たとえば韓国やアメリカ、トルコなど、日本とは逆の向きにクルマが走る国が数多くあります。そんななか、日本はなぜ「左側通行」となったのでしょうか。
■なぜ日本はマイナーな「左側通行」?
世界の道路には「左側通行」と「右側通行」が混在していて、海外へ行くと困惑することがあります。たとえば韓国やアメリカ、トルコなど、日本とは逆の向きにクルマが走る国が数多くあります。
そんななか、日本はなぜ「左側通行」となったのでしょうか。
有力な説は、文明開化ののちに自動車の文化がもたらされ、道路の整備が必要となった際、その技術を学んだ先がイギリスだったというものです。
そもそもイギリスは昔から「馬車は左側通行」という慣習が根付いていました。馬車を操る「御者」が右手でムチを振った時に、歩行者に当たらないようにという工夫でした。
もっとも日本でも「武士同士がすれ違う際に刀が当たらないように、江戸時代から左側通行になった」という説もありますが、有力な資料は見つかっていません。
さて、日本で「左側通行」がルールとして初めて表に出たのは、1881(明治14)年の警視庁通達で「人力車が行き合った場合には左に避ける」と定められたものです。
その後1900(明治33)年に、警視庁は「道路取締規則」を制定。そこで「諸車牛馬は車馬道の左側を、その設けのない道は中央を通行すること、そして、歩行者はみだりに車馬道を通行しない」と明記されています。
現在の左側通行の交通規定は、昭和35(1960年)に改正された道路交通法で「車両は、道路の中央から左側を通行しなければならない」(第十七条 通行区分)と規定されたのがはじまりです。
実は過去に、日本の交通は「右側通行」に変更される可能性がありました。1945年に日本が敗戦を迎えると、進駐してきたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が、アメリカと同じ右側通行に変更するよう求めたのです。
この時は日本側の財政状況などを理由に、実現はしませんでした。それもそのはず、標識から信号から、あらゆるものを逆向きに設置しなおす必要がありますし、自動車の運転席やバスのドアも逆側に作り直す必要があるからです。
しかしいっぽうで、沖縄は1972年までアメリカの統治下に置かれました。そのため道路も右側通行になり、新造されるバスも右側にドアが取りつけられています。日本に返還された際は、通行区分の変更が大仕事となりました。