新東名は海老名南JCTで圏央道に接続して終わりです。どうして中途半端に終わり、東京まで延びてくれないのでしょうか。実は都心までつなげる構想は存在するのです。
■中途半端な「海老名で終わり」どうなるのか
東名高速道路に並行する「新東名高速道路」は、最後の未開通区間である新秦野IC~新御殿場ICの工事の真っ最中です。
ところで、東名は首都高を通じて都内へ直結していますが、新東名は海老名南JCTで圏央道に接続して、それで終わりです。
新東名はどうして中途半端に終わり、東京まで延びてくれないのでしょうか。ネット上でも「東京延伸」を望む声が見られます。
そうした声が上がる背景として、東名の大和トンネルや横浜町田IC、さらに国道246号全般の破滅的な渋滞があります。首都圏全体のストレスレベルを引き上げていると言ってもよく、損失時間は計り知れません。
それも、都心~神奈川中西部のまともな道路がほぼ東名と国道246号しかないという実情があります。それゆえ、新東名に「交通分散」させることへの期待が高まっています。
実は、新東名には東京へ延びる構想自体はあります。「あった」と言うべきかもしれませんが、現状を整理しましょう。
日本全国の高速道路網は、1966年制定の「国土開発幹線自動車道建設法」の予定路線に基づいています。当時はバラ色の夢物語のような計画でしたが、振り返るとそのバラ色の計画が今や「ほぼ全て」事業化し、完成に達しつつあります。
そんななか、完全に放置プレイの状態が続いているのが、この新東名の海老名~都心なのです。全国を見渡しても、「国土開発~」予定路線で「基本計画路線」のまま止まっている工区は、ここ以外ほぼ皆無と言ってもいい状況です。
一応説明しておくと、ルートは途中に横浜泉IC(仮)を経て、都内で外環道(東名~湾岸)の玉川IC(仮)に達することになっています。
地図で見ると、何となく新東名延伸がうやむやになっている理由がわかるかもしれません。実は、似たようなルートで「横浜新道」「第三京浜」が開通済みだからです。
第三京浜の開通は1965年、横浜新道の開通は1959年。つまり、新東名の計画が固まるよりも昔に、とっくに完成していたのです。
それらに並行して新たな高速道路を作ろうとしたのか、あるいは第三京浜・横浜新道を取り込んで「海老名~戸塚」を作ってつなげようとしたのか、詳細な事情はよくわかっていません。
しかし、そのミッシングリンク「海老名~戸塚」となる、「代わりの2つの計画」があります。
■新東名「東京延伸」の「現実的な計画」とは?
ひとつめは開通間近となっています。それが「圏央道横浜延伸」です。
新湘南バイパスの藤沢ICで終わっている圏央道を、東へ伸ばし、横浜横須賀道路の「釜利谷JCT」へ直結するというものです。
これが完成すれば、茅ヶ崎からそのまま首都高湾岸線へ乗り入れることができ、「都心直結」どころか「房総半島直結」「外環道千葉・埼玉直結」まで視野に入ります。
東名から横浜北西線で湾岸線方面へ行きたいドライバーにとって、地獄の「横浜町田IC」を通る必要が無くなります。それらの交通が一斉に圏央道で藤沢・横浜本牧方面へ抜けてくれれば、交通分散が万々歳というわけです。
ちなみに横浜栄IC・JCTからは支線が北西へ伸び、戸塚で国道1号に接続する部分も同時進行中。ここが開通すると、汲沢から2.5kmほど国道1号を北上すれば横浜新道へ到達可能となります。これをもって「新東名の東京延伸」が「ほぼ成就」したと見ても、無理のある話ではないかもしれません。
気になる進捗ですが、途中の横浜栄IC・JCTはほぼ完成形なものの、大半を占める地下トンネルがトラブルもあってスローペースなため、まだ開通見通しが立っていない状況です。藤沢~栄の「横浜湘南トンネル(仮)」は、5.6kmのトンネルの、2本中1本(横浜行きのみ)が掘削完了したところです。
さて、もうひとつは、神奈川県の「改定かながわの道づくり計画」では、「10年後期待される効果及び計画の具体化が望まれる自動車専用道路」に構想路線として記載されているルートです。
先述の「栄~戸塚」をさらに時計回りにぐるりと伸ばし、保土ヶ谷バイパスと横浜北西線を縦に連絡するという「横浜環状道路」が構想され、そこへ新東名が海老名から伸びてきてドッキングするというものです。
新東名~横浜環状道路~横浜北西線~第三京浜~外環道というルートで、めでたく「新東名の東京延伸」は完成を迎えるというわけです。
こちらの気になる進捗状況ですが、具体的な検討は「首都圏の道路ネットワーク計画や本市の道路状況などを見ながら」やっていくという方針。要するに、予算にも限りがあるので、目下動いている新東名と圏央道延伸がまず完成してからにしようよ、ということです。