日産車がとりわけ元気だったバブル絶頂の1990年に発売された小型セダン「プリメーラ」。今年春のイベントにも展示され、話題となったこのクルマの魅力は何なのでしょうか。
■打倒「欧州セダン」! 30年経過もなお「素直さが素晴らしい」
「技術の日産」を標榜してきた日産自動車のクルマの中で、その先進的な設計から未だに高い評価を受けている「プリメーラ」。
当時の日本車にはなかった、プリメーラの魅力とは何だったのでしょうか。
日本の景気が最高潮に達し、誰もが高級な生活を夢見たバブル絶頂期。そのど真ん中である1990年にデビューした初代プリメーラ「P10型」は、あえて時代の空気に異を唱えるような、愚直なまでにマジメなクルマでした。
プリメーラの開発は、「1990年までに技術で世界一になる」を合言葉に日産が推進した「P901(901運動、901活動とも)」の中で進められました。
当時の日本車はコストパフォーマンスや信頼性で優れるものの、肝心の動力性能は欧州車などの「一流品」に劣る、というのが世界的な定評でした。プリメーラはP901を通じ、ヨーロッパの一流セダンたちを超えるという大きな目標を立てたのです。
海外のライバルや、日産でノックダウン生産を行ったフォルクスワーゲン「サンタナ」を徹底的に研究し、開発チームが目指したのは、ヨーロッパ車を超える走行性能と居住性を両立した”世界一の小型セダン”でした。
まず走りの面では、フロントサスペンションに路面追従性の高い新開発のマルチリンク式を採用しました。これは1989年発売の8代目「スカイライン」(R32型)と同タイプのものでしたが、FF駆動のプリメーラに採用したのは画期的でした。
サスペンション自体も、当時としては異例なほど硬い味付けでした。その仕上がりは「乗り心地が硬すぎる」とクレームが入ったほど。これを受け、後にややソフトなサスペンションに改良されています。
とはいえ今の基準で考えれば、適度にインフォメーションを伝えつつ、確実に路面をとらえる優秀なセッティングでした。テスト走行は海外だけでも18万キロに及んでいます。
快適性も、それまで日本車が注目していなかった「パッケージング」の考え方を採り入れて追求しました。構成部品それぞれの性能ではなく、全体のレイアウトとバランスを根本から見直すことで、本質的な車両開発に取り組んだのです。
そしてそれは「プリメーラパッケージ」としてCMでも訴求されるようになっています。
車両レイアウトレベルからの再検討により、スタイルは短いノーズと大きなキャビン、高く構えたリアデッキを持つ機能的なものになりました。全長4.4mのサイズからは想像できないほどルーミーで、大容量のトランクルームを持つセダンが完成したのです。
こうして発売された初代プリメーラは、狙い通り海外で高評価を受けます。ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーでは日本車初の2位を獲得。英国では現地生産が行われました。北米でも日産の高級ブランド インフィニティから「G20」の名前で親しまれました。
国内市場でも、プリメーラは欧州仕込みの本格セダンとして評判となりました。バブル崩壊によるニーズの変化もあり、時には兄貴分である「ブルーバード」を超える人気を集め、1995年に2代目「P11型」へバトンタッチするまで好調なセールスを記録しています。
プリメーラは、同じくP901の成果として挙げられるR32スカイラインや「フェアレディZ」(Z32型)と比較すると、一見地味な存在に見えます。しかしその内容は時代のはるか先を目指したもので、名実ともに当時世界一のセダンのひとつだったといえるでしょう。
さて、登場から30年以上が経過したプリメーラですが、その歴史的な価値は、根強いファンのみならず日産自身も強く認識しているようです。
今年2024年4月に幕張メッセ(千葉市美浜区)で開催された旧車文化イベント「AUTOMOBILE COUNCIL 2024」の日産ブースには、「シルビア」(S13型)や「フィガロ」など、今でも根強いファンを持つバブルの名車と並び、P10型プリメーラの姿があったのです。
来場者からは当時を懐かしむ声や、P10型のようなインパクトのある新型車を期待する声、また「当時を知らないので逆に新鮮だ」という若い層の意見など、多くのリアクションが寄せられていました。
わかりやすい個性に頼るのではなく、「いいクルマに必要な性能」を徹底的に追求した初代プリメーラ。先行きが不透明な令和の現代においても、クルマに求められるのはこのような実直さなのかもしれません。