「ミッドシップ」「ガルウイング」「2シーター」「スケルトンモノコック+FRPボディ」「クイックすぎる操縦性」…。そんなぶっとんだ軽スポーツカーが存在しました。それがオートザム「AZ-1」です。どんなクルマだったのでしょうか。
■スズキ製エンジンをミッドに積んだ「本格的軽スポーツカー」
新車販売の約4割を占めるほど人気が高い軽自動車。スポーツグレードを設定するモデルもあり、ダイハツ「コペン」のような本格的な2シーターオープンスポーツも販売されています。
ところが1990年代前半の平成初期には、2シーターの軽スポーツカーが3車種も存在していました。
それが、1991年登場のホンダ「ビート」とスズキ「カプチーノ」、そして翌年に出現したオートザム「AZ-1」でした。
この3台は頭文字(AZ-1、Beat、Cappuccino)を取って「ABCトリオ」と称されることもあります。
驚くべきことは、ビートとAZ-1はミッドシップだったということ。FRのカプチーノも、後輪近くに着座させる「ケーターハム スーパー7」のようなレイアウトに、開閉・脱着によってTバールーフ、タルガトップ、フルオープンを選択できる凝ったルーフを持っていました。
なかでもAZ-1は、ドアが上に開く「ガルウィング式」で、ボディはスケルトン・モノコックフレームにFRP製の外皮を重ねる構造を採用。ボディパネルの交換による「着せ替え」も可能でした。
開発資金が潤沢で、とりあえずどんなクルマでも出してみようという風潮だったバブルの企画とはいえ、販売台数が見込めない軽スポーツカーに、大排気量・高出力のエキゾチックスーパーカーも真っ青な、極めて贅沢な設計を盛り込んでいたことが驚かされます。
とはいえ、AZ-1の目標販売台数は800台/月という思いのほか高い数値を目指していたので、マツダとしては本気で販売しようとしていたのかもしれません。
なお「オートザム」とは、当時マツダが進めていた多チャンネル戦略で誕生したブランドのひとつです。
乗員の背後に横置き搭載されたエンジンは、スズキ製の3気筒660ccインタークーラーターボの「F6A」型。
軽ホットハッチ「アルトワークス」やカプチーノに積まれたユニットで、最高出力は自主規制値いっぱいの64psを発生しました。トランスミッションは5速マニュアルのみ。前後サスペンションにアルトのフロントサスペンションを流用していたのも特徴です。
前後重量配分は、MR車では理想的な44:56という数値を達成。ロック・トゥ・ロックが2.2回転というクイックなギアレシオにより、俊敏なハンドリングを実現しました。
軽自動車規格のため車幅が狭く、車高もわずか1150mmしかないため車内はとてもタイト。高身長だと乗りにくい場合もありました。
サイドシルが深いこともあって乗降も難しく、ドアと一体式のルーフはガラス張りのためサンシェードを装着しないと夏は暑く、窓はほんの少ししか開かない、車内はエンジン音でいっぱい……。
などなど、ラクさや広さを追求した現代の軽自動車では考えられないほどハードでスパルタンなクルマですが、それもまたAZ-1の魅力と捉えることもできます。
■今でも「スーパーカー的」キャラクターは健在
AZ-1の販売は1992年10月から始まりましたが、実は原型となるモデルが存在しました。
それが、1989年の「東京モーターショー」に出品されたコンセプトカー「マツダAZ550」です。
AZ550には、AZ-1に近いスタイリングで「気さくなシティランナバウト」をテーマとした「タイプA」、フルフェイスヘルメットをイメージしたデザインの「スーパーライトウェイトスポーツ」の「タイプB」、そして当時隆盛したレーシングカーカテゴリー「グループC」マシンを模したような「タイプC」の3種類が用意されました。
中でもタイプAの評判が高かったことから市販化が決定しました。ウェッジシェイプのスタイルはそのままに、ショーモデルのリトラクタブルヘッドライトを楕円形の固定式に変更。
発売までの3年間に軽自動車規格が変更になったことを受け、ホイールベースの延長や排気量の拡大(550ccから660cc)のほか、安全性・快適性の向上が行われています。
発売当初の販売価格は149.8万円で、当時の軽自動車が50〜90万円程度だったことを考えるとかなりの高額でしたが、成り立ちや内容を考えると、現在ではこの価格でもバーゲンプライスに感じられます。
なお同じエンジンのアルトワークスの「RS/X」は約100万円、ライバルのビートは138.8万円、カプチーノは145.8万円でした。
しかし時はバブル崩壊期。趣味性が強く価格も高いAZ-1の販売は低迷します。
1993年1月には装備を増やした「タイプL」を追加したり、スズキからもOEMモデルとして「キャラ」を販売。
そして同年6月にはマツダスピードのボディパーツを備えたコンプリートカーの「マツダスピードバージョン」、マツダの商品企画などを担当した「M2」ブランドから発売した「1015」などを追加したものの好転はせず、1993年10月に生産を終了。
生産台数はAZ-1が約4400台、キャラに至っては約530台のみで終わってしまいました。
そんなAZ-1ですが、そうしたマニアックな成り立ちや凝った設計、そして希少性から、生産が終わって30年以上が経った現在でも高値で取引されています。
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ミッドシップ、ガルウイング、2シーター、スケルトンモノコック+FRPボディ、クイックすぎる操縦性など、ぶっとんだ個性のカタマリだったAZ-1。それはまさに、“マイクロスーパーカー”と呼んでも差支えはありません。
軽のスポーツカーがもし今後開発されるとしても、これほどに変わったクルマは今後2度と出ることはないでしょう。これからも自動車史の記録に残していきたい1台です。