2025年1月に開催の「東京オートサロン2025」で、旧車風のオリジナルカーを製作するロッキーオートが、「ロッキー380」を展示していました。どのようなクルマなのでしょうか。
■伝説のレーシングマシン「R380」を“新車”で乗れる!?
高い技術力で名車を現代に蘇らせることで有名な愛知県岡崎市の「ロッキーオート」。
2025年1月開幕のカスタムカーショー「東京オートサロン2025」には、日本初のプロトタイプレーシングカー・プリンス「R380」を再現した「ロッキー380」を展示しました。一体どんなクルマなのでしょうか。
かつての名車を「新車」として手に入れる、もしくは現代の技術でアップデートした旧車に乗る。それはクルマ好きの夢でもあります。
ロッキーオートは、トヨタ「2000GT」の外観を再現した「ロッキー2000GT」や、日産「スカイラインGT-R」(KPGC110型・ケンメリ)にBNR32型スカイラインGT-Rのパワートレーンのみならず、内装も移植した「R32 KEN&MERY GT-R」など、豊かなアイデアと高い技術力が生み出した受注生産モデルを用意。
東京オートサロンにも毎年展示を行っており、大きな話題を呼んでいます。そして、ことしの東京オートサロン2025では、ロッキーオートはさらにサプライズなクルマを持ち込みました。
それが、プリンス(日産)R380を再現した「ロッキー380」です。
プリンスR380は、スカイラインや「グロリア」を生み出したプリンス(当時)が開発した日本初のプロトタイプレーシングカーで、1966年に登場しました。
日本のレース黎明期である1964年。プリンスは、2代目スカイラインにグロリア用の2リッター直列6気筒エンジンを押し込んだ「スカイライン 2000GT」で参戦するも、第1回日本グランプリでプロトタイプレーシングカーのポルシェ「904」に惜敗します。
そこで当時スカイラインの設計担当だった桜井眞一郎氏は、市販のセダンではなく、当時国際自動車連盟(FIA)が定めた車両規定の「グループ6」に準拠するレーシングカーR380(A-I)の開発を行いました。
1965年に完成したR380(A-I)は、1966年開催の第3回日本グランプリでは904の後継マシンである「906」を破って見事優勝を飾っています。
R380はイギリスのレーシングカーコンストラクター・ブラバムの「BT8A」用シャーシをベースに、最高出力200p以上をマークする2リッター直6DOHC 24バルブのレーシングエンジン「GR8型」をミッド搭載。
プリンスが日産と合併したあとは日産R380となり、1967年には流麗なボディシェルを持つ「A-II」に進化しています。
今回ロッキーオートが製作したR380は初期の「A-I」で、角ばったキャビンなどの特徴を余すことなく完璧に再現していますが、実は再現というより「そのもの」なのです。
というのも、ボディの原型はなんと「本物」。日産を退社した桜井眞一郎氏は、日産からR380の型(かた)と書類を譲り受けており、別の人の元で現存していました。
そこでロッキーオートでは、その型を用いてR380の製作を行うことに。つまりこのR380は、桜井眞一郎氏公認の“リクリエイトモデル”といえるのです。
気になる内部はパイプフレームシャーシと、無限製4気筒レーシングエンジン+ヒューランド製トランスミッションを組み合わせで、車内を除くと座席はセンター配置となっていますが、これは試作1号車であるこの展示車の特徴。
市販化の際には、街中でも快適に扱えるよう、モノコックボディに市販車のエンジンを載せるとのこと。座席配置も2座に変更されるのではないでしょうか。
ここで「えっ、市販化?」と思うかもしれませんが、その通りなのです。ロッキーオートではR380の市販化を予定しており、受注を受け付けています。
なお、中身がレーシングマシンそのものの試作1号車も、ナンバープレートを取得して公道走行が可能というのですから驚きです。
オリジナルのR380についていたプリンスのロゴは「P」から「R」へ、ドア下に入っていた「PRINCE」の文字は「ROCKY」にと変えられているなど、オリジナルの商標を大切にしつつも、遊び心を感じさせる心憎い演出も見られます。
車名「R380」の「R」は、ロッキーのRと捉えることもできます。
「絶対に手に入らない、しかも公道で乗るのも困難」な名レーシングカーを手に入れて路上を走れる。それがR380なんて…まさに夢の夢。
それを叶えてくれる道を示してくれたロッキーオートに拍手喝采。今後の動向に大いに期待したいと思います。