110年ぶりの新入幕優勝を決めた尊富士は、テーピングで固めた右足を引きずり気味で引き揚げてきた。目を真っ赤にし「この先、終わってもいいと思った。このけがで土俵に上がらなかったら男じゃない」。足首の激痛に耐え、大相撲史に残る快挙を成し遂げた。
右で張って左を差し、右でおっつけて前進。土俵に詰まった豪ノ山を押し倒した。その瞬間、表情は柔らかくなり「何が何だか分からなかった。とにかく優勝を勝ち取りたかった」と安堵感をにじませた。
14日目の夜に病院から戻った際は「歩けなくて駄目だと思った」と休場が頭をよぎった。そんな中、兄弟子の横綱照ノ富士から「おまえならできる」と背中を押された。休場でも大の里が敗れれば優勝という状況で「人の勝ち負けを待っている場合ではない」と腹をくくった。
鳥取城北高時代は左膝の故障に苦しみ、日大の入試の願書は入院中の病室で書いた。千秋楽の前日も病院で過ごすことに。苦笑いを浮かべ「自分はずっとけがをしてきた。でも、けがをして諦めたことは一度もない」。強い執念が結実した。