来年の戦後80年を前に、天皇陛下が先の大戦にどう向き合われるか、模索が続いている。
平成の時代、上皇さまは「慰霊の旅」として戦禍の地を巡り、戦没者を追悼してきた。
陛下を含め、戦争を直接知らない世代が8割を超えた日本社会。節目の年に平和への思いを示してきた「象徴」の在り方が問われている。(共同通信=志津光宏)
▽慰霊の旅
戦後50年を翌年に控えた1994年2月、在位中の上皇さまは上皇后美智子さまと共に、東京の南1250キロにある硫黄島に降り立った。
約2万人の日本軍が全滅した「玉砕の島」で、慰霊碑に献花し、深く拝礼した。
節目の1995年は、7月26日に被爆地・長崎、27日に広島を訪れ、8月2日は国内唯一の地上戦で多くの住民が犠牲となった沖縄、3日は全国各地の空襲被害を代表する形で、東京大空襲の死者をまつる東京都慰霊堂へ足を運んだ。
戦没者慰霊だけを目的とした前例のない旅を終え、上皇さまは「この戦いに連なるすべての死者の冥福を祈り、遺族の悲しみを忘れることなく、世界の平和を願い続けていきたい」と決意を表明した。
元側近によると、この直後から海外戦地への強い思いを口にする。「慰霊の旅」は戦後60年だった2005年のサイパン、戦後70年のパラオへと続いていく。
▽ためらい
戦後80年は、即位後初めて迎える節目の年になる。
陛下はこれまで、上皇さまから戦時中の経験や平和への思いを聞く機会が何度もあったとし「その気持ちをしっかりと受け継いでいく」との考えを示してきた。
側近は「陛下自身、戦争を忘れてはいけないと思われているのは間違いない」と言う。
ただ、戦没者慰霊への具体的な行動については「何らかの形でやっていかないといけないが、難しい問題だ」と苦慮する。
背景にあるのは、陛下が「戦後生まれの天皇」という点だ。「国民の受け止め方を考えると、上皇さまを上書きするような形にはしない方がいいのではないか」とためらいをのぞかせた。
上皇さまが「慰霊の旅」を始めた戦後50年を知る元側近は「まずは上皇ご夫妻の思いがあり、それに私たちが付いていき、体現されていった」と証言する。
先の大戦は、天皇の名の下に戦われた歴史がある。
「戦争が遠い過去になり、国民の戦争観が時代とともに変遷したとしても、天皇が戦争と真摯に向き合うことの重要性に変わりはない」。名古屋大大学院の河西秀哉准教授(日本近現代史)はこう指摘し「歴史の反省に立ち、記憶の風化を防ぐ役目を果たすべきだ」としている。