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特攻80年、ルソン島で慰霊祭 地元「二度と繰り返さないで」

共同通信 2024年10月25日 19時2分

 【マバラカット共同】太平洋戦争で日本軍が神風特別攻撃隊を初めて編成し、フィリピンのレイテ沖海戦で米艦船に体当たり攻撃してから80年となった25日、出撃拠点だった北部ルソン島マバラカットの飛行場跡で慰霊祭が開かれた。

 約150人が集まったが、フィリピン政府高官の姿はなかった。慰霊碑を管理するクラーク空港公社の代表パグリナワン氏は「戦争に勝者はなく、犠牲者しか出さないことを慰霊碑は思い起こさせる。二度と繰り返してはならない」と訴えた。

 特攻隊戦没者慰霊顕彰会の岩崎茂理事長は、中国や北朝鮮の脅威に触れ「侵略に対する最大の抑止力は国民一人一人の国と同胞を思う気持ちと覚悟だ」と演説した。

 フィリピンでは大手民放が従軍慰安婦の悲劇を連続ドラマで放映中。主演女優らと24日にマニラで記者会見した元慰安婦の支援団体のテレシタ・アンシー氏は「慰安婦像は撤去されてしまったのに、神風の慰霊碑は容認されている」とし、「困惑している」と慰霊祭を批判していた。

 神風特別攻撃隊 太平洋戦争の戦局悪化で、日本軍は爆弾を装着した航空機で敵艦に突っ込んで自爆する作戦を採用。連合国軍南西太平洋方面軍のマッカーサー司令官がフィリピン中部レイテ島に上陸する前日の1944年10月19日、大西滝治郎中将が編成を命じた。第1陣として敷島隊隊長関行男大尉=当時(23)=らが21日に出撃したが米艦船を発見できず、25日にレイテ沖で初めて体当たり攻撃を行い、空母セント・ローを撃沈、他の空母も損傷した。終戦まで続いた「航空特攻」による日本軍の死者は4千人近くに上った。

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