創業者の相賀武夫が1922年、東京で児童向けの学習雑誌の創刊を目的に小学館を設立したのが始まりだ。現在の岡山市の農家に生まれた相賀は小学校卒業後、農学校書記見習いを経て書店で働き始めた。その経営者が事業を拡張したのに伴い17歳で上京。業務の中で児童に対する学習参考書の大切さを痛感した。(共同通信=出井隆裕記者)
相賀は退屈な教科書を面白く理解させるために業界で初めて学年別の学習雑誌の出版にチャレンジ。まずは「小学五年生」「小学六年生」を創刊し、「読者層が分散して採算が合わない」との前評判を覆して児童の心をつかんだ。その後、各学年に発行を拡大する。
太平洋戦争後は総合出版社への道を歩む。娯楽雑誌は小学館から分離・独立した集英社が担っていたが、1959年に漫画連載が目玉の「週刊少年サンデー」を創刊。学習雑誌主体だった経営の幅を広げる転機となった。
現在、文芸・ノンフィクションや辞典など多くの出版物を手がける。児童向けも写真をふんだんに使った「小学館の図鑑NEO(ネオ)」シリーズが好評だ。