登録名を「鈴木」から「イチロー」に変えた1994年だった。右足を大きく振ってタイミングを取る「振り子打法」で210安打をマーク。20歳の新星が史上初のシーズン200安打を達成し、衝撃を与えた。
プロ3年目。打撃フォームには否定的な評価もあり定位置を奪えずにいたが、首脳陣が一新し故仰木彬監督らに才能を見いだされた。打撃コーチだった新井宏昌さんは「動いている状態から打ちにいくのでバットが出やすい」と長所を認め、矯正は一切しなかった。
開幕からレギュラーで起用され安打を量産し、7月9日の時点で打率4割。9月14日の日本ハム戦で192本目を放ってシーズン最多記録を更新し、同20日のロッテ戦で200本の大台を突破して最終戦まで安打数を伸ばし続けた。西武の主力投手だった工藤公康さんは「対応する能力はずばぬけていた。一度、打ち取られた球を覚えている。ストライクゾーン以外のところにも対応された」と感服した。
その後も活躍は続き、米大リーグへ移籍するまで首位打者の座を明け渡さなかった。