閑静な集落にある白塀の蔵からジャズがもれ聞こえる。織物の卸業や金融業などを手がけた近江商人小林家の家系、吟治郎(1850~1917年)宅の蔵で、1886年に建てられたものだ。小林泉さん(69)=滋賀県東近江市小田苅町=が幼い頃は、かくれんぼなどで遊んでいたが、後年ガラクタ置き場になっていた。定年を機に「自分だけの隠れ家にしよう」と改修に着手し、昨年春から、ジャズが聴けるカフェ「吟の蔵」としてスタートした。
ジャズとの出合いは高校2年のとき。世間ではビートルズやフォークがはやっていたが、ピアノを習っていたこともあり、ピアノも主役になるジャズを聴き始めた。ジョン・コルトレーンのレコードを手にしたときは衝撃を受け、大学生活を金沢の都会で送ったことから、マイルス・デイビス、チック・コリアらのライブに足を運ぶなど、ジャズの魅力に取り付かれていった。
そして定年後にたどり着いたのがこのジャズ喫茶。だが、開店しようと思ったきっかけは、蔵の存在だった。「長年使われなくなっているのをどうしようかと、50歳を過ぎた頃から兄と相談していて。小さいときの思い入れもあるし、大好きなジャズが聴ける場所になればと」。
蔵のシックな雰囲気を残し、改装は最小限にとどめた。これが思わぬ効果をとなった。土壁と板の間にわずかな隙間があり、これがジャズの低音を柔らかく、より深みのある音にしてくれるという。初めは近所の仲間に開放するだけだったが、約1600枚のレコードやCDとこだわりのコーヒーが評判となり、カフェとしてオープンすることを決めた。
市外からもジャズ好きが集まり、自然とジャズ談議に。自分のレコードを持参してオーダーするコレクターも通うようになった。
「いわゆるジャズ喫茶にはしたくない。ジャズはあくまで入り口。好きでなくてもいいんです。この前の女性は、初めてジャズを聴いたけど、案外いいですねって」
近江商人の歴史への興味を持つ歴史好きや、小林家の従業員の関係者が訪ねてくることもある。そんなときには、近江商人や家の思い出話で盛り上がる。蔵は話しやすい雰囲気が醸されるのか、初対面でもジャズの即興のように、話が自然と弾んでいく。
「周りには、蔵や空き家が多くなって、やっかいもの扱いされているけど、素晴らしいものになるということを知ってほしい。それが地域の人の出会いの場になり、交流につながれば。こんな隠れ家が増えれば、地域は元気になると思います」
午前11時~午後6時。日~水曜休み。