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「死にたい」と妻は何度も言った 息子や周囲の支援も拒絶、夫婦が選んだ結末の果て

京都新聞 2023年12月4日 6時0分

 湖国でも木々が色づき始めた11月2日、大津地裁の法廷で裁判官がマイクに向かいゆっくりと話し始めた。証言台には車椅子に乗った84歳の男。男は寝たきりだった82歳の妻の首を絞めて殺した承諾殺人の罪で起訴された。後を追うつもりだったが死に切れず、自ら警察に通報した。

 長袖のスエット越しでもやせ細っていると分かる。ヘッドホンから流れる裁判官の声を確かめ、応答する。耳は遠いが、判断はしっかりしているようだ。かすれ声で過去を語り出した。60年近く連れ添った夫妻に、何があったのか―。

 夫妻は約20年前にも心中を試みたことがあった。男が経営する水産会社が倒産した後のことだ。2人でマンションの屋上に上り、眼下に地上を望んだ。あの時は妻が死を拒んだ。「何もないところから会社を始めた。2人でやり直そうと」

 長屋の一角を借りてつましく暮らし始めた。妻の精神が不安定になったのはこの頃だ。男が献身的に支えたが、3年前、妻は脳梗塞にかかり左半身が動かなくなる。次男が見つけてくれた草津市のマンションへ移り住んだ。訪問介護やデイサービスを使いながらの穏やかな生活。その陰で妻の病は進行する。しきりに希死念慮を口にし、そのたびに向精神薬を飲んだ。

 今年の春、男は糖尿病で人工透析が必要になる。妻は誤嚥(ごえん)性肺炎で入院。医師から誤嚥の危険を理由に向精神薬を処方しないと告げられた。夫妻は納得せず、強引に退院しようとした。

 両親をいさめようと次男が病院を訪れた。「自宅で母の介護はできない。母を殺す気か」。父子は口論になり、息子に胸ぐらをつかまれ転倒した父が激高した。「帰れ、おまえなんか子どもじゃない」。次男は「だったら縁を切る」と言い残し、病院を後にする。8月10日、夫妻は周囲の反対を押し切って退院した。

■おまえが殺したんや

 10日後。マンションを訪れた次男に男は「おまえが殺したんや」と唐突に告げる。寝室に入った次男が見たのは、ぐったりして倒れている母親の姿だった。

 退院後の妻はヘルパーらの手厚い介護を受けていた。だが男は夜に何度も妻に起こされ、ベッドに運ぼうとして落とすなど苦しんでいた。「妻は日頃から、死にたい、殺してほしい、と再三言っていた。私もかなりしんどかった」。盆の間に次男の連絡がなければ心中すると2人で決めた。

 妻は自分の手でゴムひもを首に巻いた。「苦しい?って聞いたら、うれしい、と言った。それで一気にひもを引っ張った」。妻をあやめると、自分の首を絞めて死のうとしたができなかった。次男が来訪したのは、男が「妻を殺した」と通報した直後だった。

     ◇

 この日の公判。検察官が次男の供述調書を読み上げた。「両親は多方面からサポートを受けていた。周りに耳を貸していれば事件は起こらなかった。尽くしてきたのに『おまえが殺した』と言われ、父を許せない」「とはいえ、唯一の親だし、高齢。処罰に対する気持ちは複雑です」

■心中以外になかった

 男は次男に謝罪したいと語った。心中以外に方法はなかったかと検察官に問われ、「なかったと思う」と即答。だが質問を重ねられると「次男の言う通りにすれば良かった」と揺れた。

 「今は後悔している。失敗すると思っていなかった」とも。後悔しているのは、殺してしまったことか、あなただけ生き残ったことか―。そう問われると、「両方ですね」。反省の有無を確かめようとする裁判官には「妻が希望していた」を繰り返した。その思念は固く、顔に疲れと絶望がにじんだ。最愛の人から毎日何十回も「死にたい」と言われる悲しみは、他者が完全に理解することはできないのだろう。

 11月16日の判決公判。裁判官は、男が献身的に介護し、追い込まれていたことに理解を示しつつ「次男が介護の体制を整えたにもかかわらず、自ら見限るような態度を取って不安と孤立感を強めた」と指摘した。男には懲役3年、執行猶予4年が言い渡された。

 記者が2週間後に夫妻のマンションを訪ねた。インターホンの下に手書きのメモが貼られていた。「聞こえない時あり 何回か押すorTEL よろしくお願いします」。もがき苦しんだ生活を物語っているようだった。

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