刑事という職業に誇りがあったし、やりがいを感じていた。なのに、ギャンブルをやめられなかった。家族に何度もうそをつき、消費者金融から借金を重ねた。
「いつでもギャンブルをやめられる。やめさえすれば自分はまともな人間だ」。自らの愚かさに気付いた時には、家族も、仕事も、すべてを失っていた。
ドジャーズの大谷翔平選手(29)の元通訳・水原一平氏が引き起こした違法賭博問題で注目が集まるギャンブル依存症。
■幼なじみに誘われ「何げない気持ち」で
元佐賀県警警察官の池田文隆さん(44)=山梨県=もまた、ギャンブル依存症に苦しんだ過去を持つ。池田さんが、パチスロを始めたのは、地元の大学に入学した直後。幼なじみに誘われ、「何げない気持ち」でメダルを勝った。
当たれば数時間で10万円近く稼げるスリル。勝って友人におごる時の優越感。すぐにはまり、授業とアルバイト以外はパチスロにひたすら通った。
4年で卒業し、地元で就職したが、仕事帰りに寄るのはやはりパチスロだった。給料を手にすると、掛け金は大幅に増え、1年もたたないうちに消費者金融に手を出した。
■「勝てば返せる」
「借金なんて勝てば返せる」。借りた金なのに、貯金の残高のように思え、2社、3社と手を伸ばした。そんな時、付き合っていた彼女の妊娠が発覚。借金のことは彼女にも両親にも隠したまま結婚した。
妻のおなかの膨らみが目立つころ。借り入れ額が上限に達し、消費者金融の督促状が家に届いて家族に発覚した。両親は、「子どもも生まれるし、立ち直ってくれ」と借金を肩代わりしてくれた。24歳でパチスロをやめた。
妻の両親や親戚はほとんどが警察官。信頼を取り戻すため、佐賀県警の採用試験を受けて、26歳で採用。交番勤務を経て念願の刑事課に配属され、忙しいながらも充実した日々を過ごしていた。
■7年ぶりにパチスロに
ところが。31歳の時に魔が差した。借金発覚後、小遣いは限られた額だったが、「気分転換に少しだけ」と7年ぶりにパチスロに足を踏み入れた。
「ずっとやめていたし、ギャンブルをコントロールできる」。そんな自信があった。しかし、深みにはまるのはあっという間で、再び消費者金融に手を出した。
「残業」「休日出勤」。うそを重ねてパチスロに通った。タバコの臭いをとがめられても「狭い取調室で同僚が吸うから」とごまかした。
■台の前にいる時だけ現実を忘れられた
うそや借金がバレるのが怖くて家に帰るのが嫌になり、台の前にいる時だけ現実を忘れられた。2年たつ頃には、借金は250万円にふくれあがった。督促状が届き、前回と全く同じ状況で、家族に発覚した。
だが、失ったものの大きさは前回と比べものにならなかった。
「おまえに警官の資格はない」。義父からは自主退職、妻からは離婚を迫られた。「言い訳なんてできるような状況じゃなかった」。仕事も家庭も同時に失った。
「あなたはギャンブル依存症よ」。母親に言われたが受け入れられなかった。監視状態に耐えきれず、行き先も告げずに実家を飛び出した。しかし、生活に行き詰まって生活保護を申請すると、行政から実家に照会され、居場所を突き止められた。アパートに駆け付けた母親の隣には、ギャンブル依存症の支援者がいた。
■ほぼ強制される形で
「グレイス・ロードに行きなさい」。甲府市にできたばかりの依存症回復施設にほぼ強制される形で入所した。34歳になっていた。反発心はあったものの、どこかほっとしている自分もいた。「やっと、この苦しい生活から抜け出せる」
すぐに気持ちが切り替えられた訳ではない。施設では、グループホームで共同生活をしながら当事者同士で語り合う「ミーティング」を毎日行う。過去の自分を振り返ったり、自分の性格から過ちの本質を見つけ出したりする。自分の話を“言いっぱなし”、他人の話を“聞きっぱなし”で、否定も肯定もしないのが特徴だ。
最初の半年ほどは、仲間の話を聞いて、内心ばかにしていた。話す機会を設けられても、自分をよく見せようとうそをついた。
だが、仲間との生活を通じて、少しずつ心に変化が生じた。
自分は、いつも見えを張り、責任を他人や環境のせいにしてきたのでは―。「ありのままの自分を受け入れられるようになると素直に語れるようになった」
■気持ちが痛いほどわかる
今は、回復施設の統括センター長になり、支援者として働く。スタッフ全員が当事者。入所したばかりの人の「依存症を認めたくない」という気持ちが痛いほど理解できるため、我慢強く向き合う。自分を含め、内面に生きづらさを抱えている人が多いと感じている。
ギャンブル依存症に悩むのは本人だけではない。家族も、友人も、借金の肩代わりをしたりうそをつかれたりして大きな苦しみを背負ってしまう。
「本人が気付いて、本当にやめたいと思った時が、回復への最初の一歩。過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる。僕はいま、幸せです」