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「大嫌い」な父を介護すると決めた娘 新聞の読者投稿に届いたのは「懺悔」だった

京都新聞 2024年4月17日 6時0分

 母は父の母親が嫌いだった。

 1畳ほどの部屋に押し込め、いつも母の妹と電話で悪口を言っていた。

 孫の自分も幼心に悪い人だと思い込み、祖母に対していじめとも言えるような行為を繰り返していた。

 なんて自分はひどい人間だったんだろう。年を取るほどに後悔は大きくなっていった。

 だから、大嫌いな父を介護すると決めた。

 父のためでなく、祖母への罪滅ぼしのために―。

 両親と弟と暮らしていた笠初枝さん(65)=京都市伏見区=は幼稚園に入ったころ、祖母と同居するようになり、5人暮らしになった。

 今から思えば、祖母はちょっと変わっていた。

 昼間は外をうろうろし、夜はぶつぶつと独り言を言いながら部屋に閉じこもった。食事も家族と一緒に取らず、いつも誰かがトレーに載せて部屋まで運んだ。

 孫としてかわいがってもらった思い出も、おしゃべりした記憶すらない。

 そんな性格だったからか、もっと深い理由があったのか。母はしゅうとめである祖母を嫌っていた。黒電話で、祖母に対する悪口をまくしたてていた。

 おばあさんは悪い人なんだ。

 幼かった笠さんはそう思い込み、祖母にいたずらをするようになった。

 こけしのついた鉛筆でつついたり、ご飯の下半分にこっそり冷や飯を混ぜたりした。

 自分のしたことが残酷なことだったのでは、と気付いたのは、祖母の葬儀。中学生になっていた。

 一度も優しくしてあげたことがないまま亡くなってしまった。祖母は本当に悪い人だったのだろうか。なぜ、母の意見をうのみにして、自分の頭で考えなかったのだろう。

 「私は一人の人間としてしてはいけないことをした」

 そんな後悔が押し寄せてきた。だが、深く考えるのが怖くて心の奥に押し込んだ。

 同時に、両親に対しても違和感が湧いた。

 母は、幼い子どもの前で人の悪口を言わなくてもよかったのでは。父は、母や自分から祖母を守ってあげたらよかったのでは。

 もともと両親は仲がいいとは言えず、口げんかがたえなかったこともあり、笠さんにとって、家は居心地のいい場所ではなくなっていった。

 父が嫌いだという気持ちが決定的になったのは20歳のころ。

 父は溶接業を営んでいたが、会社が倒産した。なのに働かず、友人を家に連れ込んでマージャンをしたり、パチンコに出かけたりするようになった。

 子どものいなかった叔母から財産分与されると、20歳以上も年下の女性と不倫し、ブランド品を貢いで使い果たした。

 「汚い。顔を見るのもいやだし、葬式にも出たくない」

 25歳で結婚して家を出てからは実家に近寄らなくなり、父親とはほぼ没交渉になった。

 胸にしまっていた祖母への悔恨がだんだん大きくなっていったのは十数年前。母をみとったことがきっかけだった。

 わたしはひどい人間だ。

 胸を締め付けられるような後悔にさいなまれた。だけど自らの恥を誰にも打ち明けられず、もやもやとした塊を抱えていた。

 そんな時、父が脚立から落ちて頭を打ち、介護が必要な状況になった。

 母の死後、1人暮らしになった父には、時々、食事を届けに行っていた。だが、顔を見たくなかったので、玄関前に置いてチャイムも鳴らさず帰っていた。

 介護をするとなると、顔を合わせない訳にはいかない。

 そんな時に浮かんだのが祖母の顔だった。

 「祖母へのざんげのために、父の介護をしよう」

 それから6年間、毎日父の家に行き、食事を用意したり、掃除をしたりしている。数十年、一言も話さなかったのに、普通に日常会話ができるようになった。

 父は92歳。物忘れは激しいが、食欲は衰えず、高級な牛肉やウナギを食べたがる。腹が立つことも多く、憎しみも消えないが、祖母のためだと思うと献身的に尽くせる。

 父に対して後悔は残したくないと強く思う。

 そんな介護の日々を過ごしていたある日、祖母に対するもやもやを吐き出したくなり今年2月18日、京都新聞の「こまど」欄に「ざんげ」と題した文章を投稿した。

 ざんげ  笠初江

 父が大嫌いであったが、父の介護をすると決めた。それには重たい理由がある。

 亡き母は父の母を嫌っていた。畳1畳の部屋に押し込め、母の妹と悪口ばかり長電話していた。幼かった私は、祖母は悪い人だと思い込みいじめた。こけしの付いた長い鉛筆で頭を小突いたり、ご飯も半分冷やご飯を入れたり。

 でも大人になって、私は祖母になんとひどいことをしたのだろうと後悔して母を憎んだ。仏壇に手を合わせてもどうにもならない。私なりの答えは、祖母に「あなたの息子さんをお世話しますから許してほしい」という気持ちだった。身勝手な私の言い訳。

 92歳の1人暮らしの父は食欲旺盛。週に3日デイサービスに通っている。私は365日食事を届ける。賭け事、浮気…と家では暴れていた人だった。今は物忘れが激しくなり、トイレの周りはオシッコだらけ。おばあさん、本当にごめんなさい。(京都市伏見区・65歳・主婦) 

 こまどの募集要項には、「心温まる話題を400字程度にまとめて」とあった。

 こんなひどい話、絶対ボツだろう。でも担当者に読んでもらえるだけで十分。

 送った後は胸がすっきりした。

        ◇◇

 笠さんの投稿は、3月4日朝刊に掲載された。

 その後、こまど欄を担当する文化部に、笠さんの投稿を読んだ読者から2通の手紙が届いた。実は、こまどの投稿に反響があることは、そう多くはない。2通の手紙には、自らもしゅうとめとの確執があったことへの悔恨や、笠さんの優しさに触れたことへの感謝の言葉がつづられていた。

 長い人生の中で、誰しも胸の奥に何らかの罪悪感や秘密を抱えて生きている。笠さんの赤裸々な投稿は、そんな心のひだに触れたのだろう。

 反響の手紙が届いたことを笠さんに伝えると、「うれしくて涙が出ました」と笑顔が返ってきた。

 「自分のために、吐き出してすっきりしようとしただけなのに、誰かの役に立てるなんて感激です。いつかおばあさんに許してもらえるよう、父の介護頑張ります」

 笠さんは、晴れ晴れとした顔をして父親の待つ家に戻っていった。

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