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「心えぐられた」東京・池袋の乗用車暴走事故、遺族への中傷 京アニ事件でも匿名化の要因に

京都新聞 2024年6月20日 5時30分

 京都アニメーション放火殺人事件で犠牲になった36人には、それぞれの人生と名前があった。理不尽に未来を奪われたクリエーターたちの氏名を巡っては、公判で複数の被害者名を伏せる異例の「匿名審理」が適用され、実名報道の是非が問われた。事件は2024年7月で発生から5年を迎える。実名と匿名で揺れる社会と、亡き人の生きた証しに思いを巡らせる。

 〈新しい女を作ってやり直せばいい。お荷物の子どもも居なくなったから乗り換えも楽でしょうに〉

 2022年3月。東京・池袋の乗用車暴走事故で妻子を失った松永拓也さん(37)は、X(旧ツイッター)に届いた書き込みに憤った。「2人は何も言い返せないのに卑怯(ひきょう)だ」。妻子への心ない言葉が許せず警察に届けた。10カ月後、侮辱罪などに問われた投稿者に有罪判決が出たが、故人への中傷は処罰対象とはならなかった。

 妻真菜さん=当時(31)=と長女莉子ちゃん=当時(3)は19年4月、自転車で横断歩道を渡っていた時、80代だった元官僚の男が運転する乗用車にはねられた。被害の大きさや男が逮捕されなかったことから注目を集めた事故だった。

 恥ずかしがり屋だった2人は望まないかもしれないと思いつつ、松永さんは「再発防止につなげたい」と顔を出して会見に臨んだ。その後、実名も明かしてブログやXで遺族の声を発信した。

 多くの人から応援のメッセージが寄せられたが、同時に根拠のない批判や誹謗(ひぼう)中傷も届き始めた。〈被害者ぶってる〉〈左右確認せず渡ったのが悪い〉。覚悟はしていたが「心をえぐられた」と明かす。

■「想像つかない」京アニ事件遺族の不安

 京都アニメーション放火殺人事件の公判では、犠牲者の実名が世に出ると遺族の日常の平穏が著しく害される恐れがあるなどとして、亡くなった36人のうち19人が匿名で審理された。

 かつて実名で亡き息子を語っていた父親(81)も公判で氏名の秘匿を選んだ。理由に挙げたのが中傷被害への不安だった。息子の家族がいわれのない中傷を受けないか。「想像がつかず怖い」と打ち明けた。

 松永さんの場合、誹謗中傷は「殺害予告」にまで発展した。23年10月、警視庁に脅迫電話があって以降、1カ月間、自宅を出ずに在宅勤務し、食事は近くに住む両親に運んでもらった。不眠にも悩まされた。後に殺害予告の男は逮捕されたが、「命の危険を感じた。これまでにないストレスだった」。

 「匿名の暴力」を巡っては、SNS(交流サイト)で多くの中傷を受けたプロレスラー木村花さんの自死を受け、侮辱罪が厳罰化された。被害者を救済するためのプロバイダー責任制限法の強化も図られている。しかし、被害は後を絶たない。

 「中傷は我慢するしかないと思っていたが、木村さんの事案を受け、社会問題と思えるようになった」という松永さんは、自身の体験を伝えるため各地でマイクを握る。今年4月、京都府亀岡市で12年に集団登校中の児童ら10人が死傷した事故を考えるシンポジウムに登壇した。

 実名公表を選んだことで、言葉の刃(やいば)にさらされた。一方で「事故を起こさないように、運転する前に松永さんたち3人を思い浮かべます」というSNS上の言葉に励まされた経験もある。だから声を上げ続けられる。「誹謗中傷するのはごく一部。でもつらい時はあります」

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