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「第一線に出て必ず死んで来る」総力戦時代の決まり文句 教師が残した文集に染みつく軍国主義

京都新聞 2024年8月28日 8時0分

 太平洋戦争中の1943年、現在の京都府南丹市美山町の旧鶴ケ岡国民学校で出征を前にした教師が残した文集が見つかった。本人や教え子の5年生たちによる文章は戦時色に染まっている。

 教師は「第一線に出て必ず死んで来る」と学級に語りかけ、児童は「最後迄(まで)立派に忠義をつくして」と返す。強烈だが、当時としては決まり文句のやりとりとも言えよう。

 いっそう違和感を覚えたのが、教師による独特の冗談や比喩。児童の魚捕りで獲物が一斉に逃げれば「米国の飛行機が日本の兵の姿を見た時の様」。身長のぐんぐん伸びる子を「大きくなって、アメリカ人を見おろしてやるのだ」と応援する。

 温和な女児は「激戦中に天使と感じられる看護婦さん」。口数の少ない子は「防(ぼう)諜(ちょう)の手本」―。口から次々と出たような軽妙な文章からこそ、体に染みついた軍国主義が臭う。

 筆者が不明の原稿でも、太平洋を渡り「米国敵前上陸する日」のため水泳訓練が必要とし、村民運動会の熱気から「まだ日本の国民にはこんな余裕と元気があるんだ。来るなら来てみろ」と強がる。文集は「玉砕」や学徒出陣が進むさなかの発行であり、非現実的としか言えない。

 このような学校は珍しくなかっただろう。終戦後の46年、旧平屋国民学校(美山町)の校長が職員会議で反省を述べている。なぜ国民は「子供ダマシノ防空訓練」で勝てると思い込んだのか。「神ガカリ式」で画一的な価値観を注入する教育が問題だったと語ったことが、日吉町郷土資料館で展示されている同校の「学校沿革誌」から分かる。

 子どもの振る舞いまでが、国家への貢献という物差しだけで評価された総力戦の時代。文集で児童は、戦死者をまつる「忠誠殿」に「必ず僕も入れていただく」とつづる。

 「大きくなって戦死」する―。そんな誓いは、二度と立てられてはいけない。

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