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東大卒25歳、両親に猛反対されても…借金600万の米農家を継ぐ理由 「今年は年収15万でも」

まいどなニュース 2024年8月7日 11時45分

「東京大学を卒業して米農家を継ぎました」から始まるインスタ動画が大きな注目を集めています。 アカウント開設から、わずか3ヶ月ほどでInstagramのフォロワー数は約13万人(原稿執筆時)。

 「東大卒」「山形の実家の米農家で就農」「今年の稼ぎは15万(予定)」などプロフィールには気になるフレーズばかり。

戦国時代の茶人千利休の生き方に敬意を払い、米利休と名乗る若き生産者に取材。農作業やSNS発信などで忙しい合間を縫って、あえて農業の世界で自らの歩む道を切り拓いていこうという固い決意などを話してくれました。

世界でも例の少ない研究を行っていた東大時代

今春から祖父といっしょに農業に従事する米利休さん(25歳)。地元中学を卒業後、5年制の高専に進学。高専で機械・電気電子回路・プログラミングなどの工学を学んだ後、2019年4月に東京大学工学部2年次に編入しました。

「将来は、企業の開発系の仕事、あるいは研究職に就きたいと考えていました。山形に帰って農業をするとは、全く思っていなかったです」と話すように、在学中は、ペロブスカイト太陽電池の材料について研究。

「太陽電池は3~4cmの厚みがあり、硬くて変形が難しい材料でできていますが、ペロブスカイト太陽電池は、従来の太陽電池の約100分の1程度の厚みで、非常に軽く、変形が容易であるという利点があります。ビルの側面や車などへの設置の可能性を秘めており、近年注目されています。僕は、そのペロブスカイト太陽電池の中でも、厚みに関する材料の組成を研究して、世界的にもほとんど報告がない作製手法を試みていました」。

寝る間も惜しんで研究するバリバリの理系学生だった一方で、マーケティング分野にも興味の目が向くように。いつしか、開発職・研究職への興味は薄れ、就職や院進学は選択肢から外れていきました。

学業に取り組みながらも、通販サイト・アフィリエイト・SNSコンサルティング・動画編集などを行うという二刀流の生活を送っていましたが、両立が立ち行かなくなって休学。将来のこと、自分にできることを考えた休学期間はさまざまな葛藤があったそうですが、「卒業しても就職はしない、自分のやりたいことを頑張ろう」という決意をしたそうです。

「じいちゃんの米作りは廃業」と聞いて

休学を経て東京大学工学部を卒業したのは2023年3月。個人で事業を営んでいた同年秋に、家族会議で「元々借金があったところに、異常気象の影響で去年は赤字を出したため、農機具代や設備の借金がさらに大きくなった。このまま農業を続けても経営的に厳しい」「75歳を超えて、体力的にも限界に近い」と廃業の危機を祖父、両親から告げられました。

現在77歳の祖父は50歳まで会社勤めをしながら米作り。共働きだった息子夫婦(米利休さんの両親)に代わり、幼かった米利休さんと弟の世話をするために会社を辞め、専業農家になりました。

「じいちゃんが作る『つや姫』という品種は、炊きたてはもちろん冷めても甘み、ツヤ、粘り気のバランスが抜群!塩むすびは最高においしいです!僕の友達はじいちゃんが作った米をおかずに、米を食べてました笑」と絶賛する祖父の米がこのまま消えていくかもしれないという状態に直面。

米利休さんは「残念な気持ちになった」と言います。実家の周りに広がる美しい風景と素晴らしい農地がどんどん廃れていってしまうことへの悲しさも感じました。

そして、「身体が限界で今にも倒れそうなじいちゃんの米を守りたい」と強く思うように。個人事業への物足りなさやこのままの生き方でいいのだろうか?という疑問を持っていたことも重なり、農業は素晴らしい選択のひとつではないかと考え始めました。

また、生産者の高齢化など農業界の現状を知るにつれ、チャレンジ精神が湧き上がったのも事実。「ピンチはチャンスでもあります。高齢化や経営難で人が辞めていく(少し遅れた)業界であれば、今まで僕が学んできたマーケティングの考え方や理系の考え方はビジネスとして生きてくるのではないか、とも感じました。“人の役に立つこと”“自分で道を切り拓くこと” という僕の人生のモットーが、農業で実現できる!と思ったのです」

「年収15万円、生活費は自分で稼ぐこと」が農業を継ぐ条件

米利休さんの中でピタッとはまった“農業で生きていく”ですが、決意に至るまでには迷いもありました。というのも、農業借金だけで約600万円、それ以外にも奨学金などを含めれば、合計1000万円以上の借金がある状態からのスタートになることがわかっていたからです。

さらに、直近数年で借金返済できることを見込める農地面積もありません。収穫量増加につながる農地面積を拡大できる見込みもすぐにはありません。「少なくとも30歳までは苦しい生活になるだろうと考えると、農業後継即決!とはなりませんでした」。

「じいちゃんの米作り、継ぎたい」と相談すると、案の定両親は難色を示しました。「父は祖父の農業を手伝いながら、そばで農業を見てきた中で、稼げないことや将来性が感じられないといったネガティブな部分がたくさん見えてしまったから、農業は継がなかったと言っていました。ただ、うまくやれば儲かる可能性もある、とも言われました」。

一方、母からは“絶対に継がないで”という旨の厳しい言葉。借金返済も課せられたマイナスからの船出に対し、母が「借金抱えてまでやるな」「そんな稼げない職業やめなさい」と言うのも無理はありません。家族での取り決めで、「もし農業を継ぐなら、年収の見込みは15万円。生活費は自分で稼ぐこと」ともなりました。

両親の思いに対し、米利休さんはネット通販による販路開拓など稼げる可能性を説明。今は、農作業・農業の勉強・SNS発信・様々な方とのやり取りを日々頑張っている姿を見て、ポジティブに応援。動画撮影も積極的に協力してくれています。

もちろん、祖父は「喜んでくれました。体力的に厳しい状況だったところに、1人加わることの安心感もあったのかと思います。家族の間では今年で廃業だろうという話になっていましたが、じいちゃん自身は“農業借金を返すまでは、なんとしてでもやり遂げなければ (最低でも、あと5年) ”という気持ちだったそうです。“借金残したままじゃ、死ぬに死ねねぇがらよ”と言ってました」。

祖父のトラクターでの農作業や休憩する姿、おにぎりを頬張る姿などSNSでも見ることができますが、「じいちゃんはSNSのことをよく理解しておらず、僕が撮影していると“撮ってんな!?”と笑ってます」と米利休さん。「祖父からすれば、僕は携帯電話を触っている怪しい若造です」とSNSでも明かしています。

「まだまだ知識不足ですが、日本の農業を元気にしたいし、農業を通して日本にポジティブな影響を与えたい」と考え、行動している米利休さん。今後も、農作業や米作りのこと、農業を巡るさまざまな問題・課題を『ドキュメンタリー』として紹介していきます。

(まいどなニュース/Lmaga.jpニュース特約・宮前 晶子)

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