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2024夏も鈴鹿8耐はアツかった 80年代バイクブーマーの「聖地」、見る側にもガッツと覚悟を求める耐久戦 5万6千人が熱狂

まいどなニュース 2024年7月24日 12時26分

 真夏のライダーの祭典というと、そうです、鈴鹿8耐ですね。今年も7月19日から21日の日程で開催されました。レース内容や結果などは既に各メディアで速報されていますので、主に会場の雰囲気や、概要などをお伝えしたいと思います。

昭和の終わり頃、バイクブーマーの夏は8耐か北海道でした

 いわゆる「鈴鹿8耐」、今年の大会の正式な名称は「"コカ·コーラ" 鈴鹿8時間耐久ロードレース 第45回大会」です。これは筆者のような1980年代の空前のバイクブームの頃にライダーになった者としては、まさに夏の風物詩といった一大イベントです。当時、バイク乗りの夏は、シンボリックに二つに分けるとしたら「北海道ツーリング派」と「8耐観戦派」だったように感じます。実は筆者、北海道は毎年行っていましたが、その頃の8耐には行ったことがありません。バイク仲間には当然、毎年8耐に行ってる人も居て、その熱気と盛り上がり、楽しさはさんざん聞かされていましたが、ものすごい暑さ、強烈な人混み、行き帰りの混雑、特に帰りは駐車場から出るのに1時間以上掛かって最寄りのインターチェンジまでずっと渋滞、といった話を聞いて躊躇してしまってたんですね。

 記録によると、最も多かった1990年には3日間で36万人の観客が集まっていたといいます。まさに熱狂です。仮にレース本番の日の観客がこの半分としても18万人ですから、サーキットから高速入り口まで渋滞というのもあながち盛った話ではなさそうです。実際には半分よりも多かったでしょうし。

 今年の動員は、金曜日が7000人、土曜日が19000人、日曜日が30000人でした。合わせて56000人。それでもサーキットは熱気に溢れていましたし、土曜日の夜に行われたピットロードの開放(ナイトピットウォーク)などはちょっとこわいほどの過密状態でした。1990年はこの6.5倍ほどの人出です。当時の盛り上がりは想像するだけでおそろしいほどです。でも今となっては当時体験しておきたかったと、少し後悔しています。

国産車がレースを支配していた時代

 また、当時はバイクがものすごく売れていた時代で、国産4メーカーが次々に新しい技術を投入して毎年新型が出ていた頃です。レースシーンも国産車が席巻していて、ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキそれぞれ自分の愛車のブランドを熱烈に応援していました。各メーカーそれぞれにHART、YESS、JAJA-UMA、KAZEといったユーザー向けのクラブを作ってファンの囲い込みにも熱心でしたし、ファンの熱狂はすごかったと想像します。

 もちろん今も国産車は強いですが、ドゥカティやBMWの速さとしのぎを削っている、良い意味で楽しい時代になっているようです。

"コカ·コーラ" 鈴鹿8時間耐久ロードレース 第45回大会

 筆者は20日の土曜日に現地入りしました。18日に梅雨明けが発表された三重県、この日は四日市市で34.9度、津市で36.8度の最高気温を記録しています。駐車場でクルマを降りると、圧を感じるような暑さ、そしていきなり予選走行の全開のエンジン音に包まれました。入場ゲートからメインスタンドまでの広場には各メーカーのテント、ブースが立ち並んでいて、キッチンカーもたくさん出ています。すごく混んでいる感じではありませんが、炎天下にもかかわらず大勢の人が出ていました。

 最終予選はYARTヤマハがポールポジション、でもその後に転倒の映像が流れてちょっとざわっとする展開もありました。

 18時から前夜祭が始まりました。今年はヨシムラの70周年で、トークショーやヒストリックバイクのデモラン、ナイトピットウォーク、花火などが行われました。

 さて、明けて21日の日曜日。この日は朝から雲一つ無い晴天です。朝からメディアセンターのテラスでウォーミングアップ走行の様子を見ていましたが、やはりスタート時は第1コーナー側からの写真が欲しいと思って、スタンド席まで出かけました。

 コントロールタワーの2階にあるメディアセンターから、パドックトンネルのエレベーターまで200メートル弱。ここは日陰です。約100メートルの涼しいトンネルをくぐって、そこから第1・第2コーナーのスタンド席まで、700メートルほどの炎天下。道中、通路脇の日陰や木陰には、ぐったりした様子の人々がへたり込んでいます。まだレーススタート前なのに、このやられ感はすごいです。そして辿り着いたスタンド席では、およそ4階くらいの高さの階段が待ち構えていて、登り切ったと同時に真上からの猛烈な日差しに晒されました。白いコンクリートの座席からも容赦ない照り返しが襲います。スタートまでの15分ほどそこに居ただけで、なんか動悸が激しくなってきました。これから始まるレースへの期待感?、それとも、熱中症?、ちょっとあかん気がする、でも周りの皆さんすごい大きな旗とか振って元気そうです。

 スタートを見届けて、メディアセンターに戻った頃にはかなりふらふらでした。50代後半、典型的運動不足体型の筆者の体力では、ちょっと太刀打ちできない熱気。しばらく安静にしてクールダウンしたのち、無理せずマイペースで撮影することにしました。ちなみにこの日、津市では35.0度でした。

 今年の8耐は転倒こそそれなりにあったものの、一度もセーフティーカーが出ることもなく、各チーム順調に周回を重ねています。

 終盤、トップを走っていたゼッケン30番Team HRC with Japan Postが、ピット作業の違反で40秒のペナルティが科されたものの、2位のゼッケン1番YART – YAMAHAに7.86秒差で逃げ切り優勝。1位と2位は周回数220という、8耐史上最高の記録も達成しました。3位にはゼッケン12番Yoshimura SERT Motulが入って、ヨシムラ70周年を見事表彰台で飾りました。以下、4位にはDUCATI Team KAGAYAMA、5位にはBMW MOTORRAD WORLD ENDURANCE TEAM。もはやドゥカティは国産メーカーよりスピードがあるし、BMWの安定感もすごいといいます。また、8時間全力で走って、トップと2位のタイム差が10秒以内という、信じられないほどの接戦。あの頃から30数年経った、今のロードレースの様子を間近に感じることができて、とても良い体験をさせて頂きました。

 また来年も、しっかり体力を作って観に行きたいです。

(まいどなニュース特約・小嶋 あきら)

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