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被災者による奥能登の珠洲「ガイドツアー」その意図は…現地で取材 参加者から「思ったより復興進んでいない」「行っていいのか悩んでた」の声

まいどなニュース 2024年8月22日 6時50分

令和6年能登半島地震の被害が特に大きかったとされる能登半島の最北部、奥能登。筆者は同じ石川県内に住んでいますが、把握しきれないのが現状…。そんななか、能登半島先端の珠洲市で7月から始まった「復興支援ガイドツアー」に参加し、現地を取材しました。

同ツアーを提供するのは、珠洲市の復興を民間主体で進めるための珠洲市宝立町(ほうりゅうまち)の有志によるプロジェクト「リブート珠洲」。

「被災地の現状を多くの人々に知ってもらうこと」を最大の意義とし、外から人が来ることで地元の人が刺激を受けたり、宿泊施設や飲食店、土産物店などへの支援が広がったりすることが復興のきっかけになればという思いから企画されています。

今回は、約3時間をかけて、崩落で大きく形が変わってしまった見附島(みつけじま)、大きく家々が崩れたままの町、避難した人々が暮らす小中学校、お祭り用の灯ろうが収納されていたキリコ倉庫、津波で甚大な被害にあった「さいはてのキャバレー」、ボランティアが宿泊するキャンプ場などを案内してもらいました。

ツアーでは地震や津波の威力の凄まじさを目の当たりにし、避難所や仮設住宅の暮らしについて見聞きし、復旧・復興がどのように進んでいるかをうかがい知ることができました(ツアー内容については、記事後半にて紹介)。

きっかけは避難所で…

ツアーの案内を担当するのは、5年前に千葉県から移住したデザイナーで、「リブート珠洲」代表の篠原和彦さん、見附島観光協会に所属し、地震の前は道の駅の観光ツアーなどに携わっていた宮口智美さん。代表の篠原さんに立ち上げるまでの経緯や反応などについてたずねました。

2人が企画を思いついたのは、宝立小中学校に互いに避難していた頃。「話しているうちに、珠洲市の復興の話題になりました。行政を待っての復興だと時間がかかってしまう。最初は何か物品の販売をしようと言ってたのですが、店舗でも通販でも在庫を置く場所が必要になる。そこからツアーと言うアイデアが出てきました」。

とはいえ、「道路やライフラインの復旧さえ充分でない中でツアーをやっても地元からの反発があるのではないか」「建物の解体や撤去が進んでからの方がいいのでは」などの不安も。そこで、震災から半年後の6月に、地元の人を対象にモニターツアーを実施し、好感触を得たことが後押しに。地元の人でさえも、「津波から避難してきた人は被害が大きかった地域には行けていないとか震災後に見ていない場所もあったんです」。

参加者からの声は?

モニターツアー後、本格的に準備を開始。宮口さんが働いていた観光業界で得たノウハウや人脈を生かしツアーを企画、篠原さんはデザイナーとしてのスキルでホームページやチラシを作成。ツアーは7月14日から開始し、7月27日時点で20件以上の参加がありました。スタートから約1カ月後の8月12日時点では23組、32人が参加し、予約済みを含めると43組、360人以上。来年の予約もあり、秋以降は団体での参加も増えるそうで、多くの人が復興支援ガイドツアーに強い関心を寄せていることがわかります。

全国、特に関西からが多く、大人から子どもまで幅広い年代の人が参加。なかには自由研究として訪れた小学生や、阪神大震災の復興を目の当たりにした男性も。

人々が目にしておきたいと言うのは、キリコ倉庫のある鵜飼川の河口や飯田港の「さいはてのキャバレー」など、津波の被害の大きさがわかる場所。参加者からは「行っていいのかなと思っていたが、地元の人から『来てください』と言われるのはありがたい」との声が寄せられているそう。珠洲のことも地震での苦労も知っている人から、自分の関心を受けとめた上で、案内してもらえることが安心感につながるのかもしれません。

被災地の報道はあるものの、「日本家屋が崩れて屋根が膝くらいの高さにあるなど、現地を歩くことでよりリアルに受けとめてもらえている」と手ごたえを感じている篠原さん。一方で、「思ったより復興が進んでいない」と言われることもあるそうです。

「こちらに来ていただけるとうれしい。何もないけれど愛着のあるところだから。『こうしたらいよ、ああしたらいいよ』など、いろんな意見を言ってほしい」と話してくれました。

篠原さんは移住前に住んでいた千葉県で、総務省が推進する自主防災組織(自治会や町内会などで設立された組織)で防災会長を務め、自身のホームページ「南洋幻想」にて知識と経験を踏まえて防災や災害への備えについてもつづっています。

また宮口さんは篠原さんとともに「リブート珠洲」の「被災地復興支援ガイドツアー」に携わると同時に、今年1月から市内に住む同じ30代の知人女性とコミュニティセンター「本町ステーション」を立ち上げ(オープンは4月)、地域住民や他の地域から来た人々との交流の場としています。

3時間の珠洲で目にした現状

筆者が参加したのは7月27日のツアー。「行きたい場所」「見たいもの」「食べたいもの」など要望を出すことができますが、あえて「おまかせ」としました。当日は珠洲市のなかでも沈下が起こった富山湾側の内浦と呼ばれる地域で、津波の被害が大きかった場所をメインに宮口さんに案内してもらうことになりました。

目的地まで主に使用したのは自動車専用道路「のと里山海道」。片側交互通行や急カーブのう回路、段差、40キロの速度制限を経て、約2時間で石川県羽咋市から現地に到着しました。スタート地点である、珠洲市宝立町鵜飼にある見附公園目の前には「軍艦島」とも呼ばれる見附島が。切り立った崖が印象的な見附島でしたが、崩落で大きく形が変わってしまったことでも話題になった場所です。休憩所「見附茶屋」には津波で水につかった跡が白く残っている、沈下により砂浜との間に段差ができているなど、あちこちに地震による傷跡が残されていました。

公園の近くには世界的な建築家の坂茂(ばん しげる)さんが手掛けた仮設住宅が並び、木目調と白のコントラストを活かした外観が目を引きます。仮設住宅に住む場合は、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器が備え付けで、コードレス掃除機、ファンヒーター、こたつ(布団付き)、ホットカーペット、ホットプレート、オーブントースター、電子レンジ、電気ポットなどから好きな家電が選べるポイントももらえたそうです。さらに、調理器具や基本的な調味料も用意されていたとのこと。

木造仮設住宅に入居した宮口さんは「内側の壁も木で、照明もオシャレ」だと住み心地の良さを喜ぶ半面、「建設に時間がかかっていて、入居できていない人のことを思うと複雑」と語ってくれました(7月31日現在60戸、全135戸整備予定)。

見附公園から鵜飼川方面に向かって歩いたところ、家々が大きく崩れていて、マンホールが管ごと突き出していたところも。そんな風景を確認しながら到着したのはキリコ倉庫。ここには宝立町で8月に開催されるお祭り「宝立七夕キリコ祭り」で担ぐ大きな灯ろう「キリコ」をかつては5基収納。今は、地震と津波で倉庫はほぼ骨組みだけを残した状態となり、キリコは津波に流されてしまいました。今年のお祭りは中止、修理には一基当たり1000万円はかかるそうで今後の見通しは立っておらず。倉庫は公費解体が予定されているとのことです。

小中学校・キャンプ場、今は…

次は先導してもらいながら自身の車で、宝立小中学校(小中一貫校)に。発災直後は約800人もの人が避難、7月27日時点で約40人の人が生活しているそうです。野外の炊き出し場、自衛隊風呂などを見学しながら、避難所で炊き出しのリーダーをされていた宮口さんから、地元の大工さんが自転車小屋だった炊き出し場に雪が吹き込んでこないように建材やビニールシートで改造してくれたことや、行政と連携して食事を用意するのに苦労したことなどを語ってくれました。

宝立小中学校から車での移動となり、蛸島町鉢ケ崎へ。鉢ヶ崎海岸に近い「鉢ヶ崎オートキャンプ場」は、地震後はボランティアが協力金500円で一泊できる「ボラキャンすず」に。アウトドアブランド「モンベル」が寄贈したテントがいくつも設置されていました。また、「ジャンボリー会場跡地」は珠洲市の災害ゴミ集積場となっており、広々とした敷地を復旧のために活用していることがうかがえました。

最後に訪れたのが飯田港。宝立町鵜飼同じく津波の被害、そして沈下の被害も大きかったところです。壁面にイルカが描かれた建物「さいはてのキャバレー」は、奥能登国際芸術祭でのイベント会場や貸しスペースとして利用されていましたが、津波での破損が大きく、海側のガラスはすべて割れていました。去年5月の地震から沈下が始まっており、解体が決まっています。

ツアーではまち歩きができ、障害物や段差がある場所でも中に入って間近に見られるのが魅力だと感じました。また、こういった場所をツアー客が撮影していいものかと悩みましたが、「家の中や表札、住所など個人が特定されないように撮影するのはかまわないです。むしろ現状を撮影し公開してくれた方が復興につながるのではと思っています」と宮口さん。個人が特定できるものを撮影しそうになった場合は、その場で声掛けをするそうです。

国内外でさまざまな事件が起こり、近頃は能登半島地震についてのニュースは少なくなりつつあります。また、SNSでは被災地について正反対のことを語る投稿が流れ、何が本当かわからないという人もいるのではないでしょうか。実際に珠洲のまちを自分の目で見て、被災者から直接話を聞ける、テレビや新聞、インターネットのその先の世界に触れられる「ツアー」であることには間違いありません。

◇ ◇

今回は天気が良く、町を歩く時間を多くとってもらいましたが、雨の場合や小さな子ども連れで、長時間歩くのが難しい場合は、道の駅でお土産を買ったり、特産の塩づくり工場を見学したりと屋内を中心のコースにするなど臨機応変な対応も可能とのことです。

「珠洲までは遠くて来るまで大変なので、美味しいものを食べたり、気に入ったお土産を買ったり、何か楽しいことがあれば」と宮口さん。

ツアーはガイドが車で先導して案内、または、現地までチャーターバスで来た場合はガイドが同乗して案内する形式に(旅行業ではないので運送や宿泊など旅行サービスの手配はなし)、1人でも参加は可能。1人の場合は5000円、5人以上で1人3000円と、人数によって料金が変動(学割あり)。参加者1人につき300円が、お祭り復興資金として寄付されます。

(まいどなニュース/Lmaga.jpニュース特約・谷町 邦子)

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