AEDは心臓が痙攣し、血液を流すポンプ機能を失った「心室細動」という状態になった時に命を紡ぐ医療機器。重要な機器という認識はある一方で、いざ必要な時にためらいなく手に取れる人は少ない。
そんな現状を変えようとしているのが、北海道北見市にある坂野電機工業所の社長・坂野恭介さんだ。
坂野さんは、幼児がお医者さんごっこをして遊べる“AEDのおもちゃ”を制作。小さなうちからAEDに慣れ親しむことで、AEDを含む心肺蘇生法の大切さを理解する人が増えてほしいと考えている。
お医者さんごっこができる“おもちゃのAED”を作りたい
坂野電機工業では産業電気機器の修理・点検の他に、AEDの販売・リース・レンタルも行っている。坂野さんは、楽しみながらAEDを知ってほしいと思い、自社のホームページでペーパークラフトのAEDを無料公開するなど、認知に取り組んでいた。
その中で思いついたのが、聴診器のようにおもちゃとして遊べるAEDを作ること。AEDがもっと身近なものになってほしい。そう思い、2023年1月から“おもちゃAED”の製作をスタートした。
手探り状態で始めた、初めてのおもちゃ製作。坂野さんはSNSに試作品の写真を投稿し、意見を募集しながら試作品を完成させていった。
だが、手探りしつつ自力で完成させた試作品を玩具のプロダクトデザイナーに見せたところ、予算がかかるデザインであることが判明。そのため、玩具として的確かつ親しみやすく楽しんでもらえるデザインをグラフィックデザイナーに依頼した。
こうして“おもちゃAED”の土台となるデザインや3Dデータはできた。だが商品化の際、坂野さんは再び壁にぶつかる。予算の都合により、製作できる商品数が1000個と少量であったことも関係して、製品化に協力してくれる会社がなかなか見つからなかったのだ。
「2023年2月から動き始めましたが、製品化に協力してくれる有限会社スワニーさんと出会うことができたのは8~9カ月後でした」
スワニーは、長野県にある企業でモノづくりに長けたエンジニア集団。連絡をしたところ、坂野さんの挑戦を前向きに捉えてくれた。そして、まさかの共通点も判明。実はスワニーでは過去にAEDを子どもたちに知ってもらうためのプロダクトを開発したことがあったのだ。
「それまで問い合わせていた企業とは入口が違ったので、やりたいことや想いが伝わりやすく、共感もしてくれました」
発売からわずか1週間で1000個が完売!
しかし、スワニーとの共同製作が始まってからも坂野さんは壁にぶつかる。初めてのおもちゃ作りゆえ、基板に必要な電圧の数値や鳴らしたい音の大きさを具体的な数字で伝えられなかったのだ。
悩んだ挙句、頼ったのは繋がりがあった中国の企業。話し合いを重ねた後、基板の製作を依頼した。
「製品寸法に基板サイズも合わせないといけないので僕とスワニーさん、中国の会社さんで常に連携し、おもちゃAEDを作り上げていきました」
こうして出来上がった“おもちゃAED”は、我が子に遊んでもらいながら音声や細かい部分の微調節を何度も繰り返し、完成。心臓(=こころ)を守る玩具であることから、『トイこころ』という商品名がつけられた。坂野さんは商品に込めた想いが多くの人に届くよう、プロに手伝ってもらい、プロモーション活動にも力を注いだ。
「今までになかったものなのでしっかり伝えないと遊び方や立ち位置、存在意義が伝わりにくいため、“知ってもらうこと”には力注ぎました」
熱い思いを乗せた「トイこころ」は2024年11月1日、発売開始。1~2カ月くらいで完売したら嬉しい。そう思っていた坂野さんは、予期せぬ状況を目の当たりにする。なんと、発売からわずか1週間ほどで完売となったのだ。
「発売を待ってくれていた方が多かったようで、発売日から安定して多くの方に購入していただけました」
「トイこころ」の魅力はAEDの使用感をリアルに再現しつつも、おもちゃらしさを楽しめるところにある。例えば、本物のAEDは胸骨圧迫をすると「ピピピピ」という音が2分間流れるが、「トイこころ」は10秒間だけ音が流れるそう。
「そうやって端折っている部分はあり、光って振動するという玩具要素はあるけれど、嘘は教えないおもちゃ。我が子やイベントなどでたくさんの子どもたちに触ってもらった時のリアクションなどを参考にしながら子どもが飽きず、達成感を得られるように工夫しました」
流れる音声は怒られている感覚にならないよう、ホップにしたが、話している内容は本物のAEDと似た内容。実際のAEDにある「小学生~大人用」「未就学児用」の切替機能も玩具らしく「おとな」「こども」の表記で再現。
「トイこころ」は、アメリカやドイツに在住する日本人にも購入された。
「もしかしたら自分が知らないだけで世界にはおもちゃのAEDがあるのかもしれないと思っていましたが、そうじゃないのかもと実感できた反響でした」
完売した1000個の「トイこころ」は2024年2月頃、購入者の手元に届くそう。販売と同時に立ち上げた「幼稚園寄贈プロジェクト」などにより、50個ほどの「トイこころ」は全国各地の幼稚園や保育園に寄贈される。
「救命講習」へ自発的に参加する人が増えてほしい
「AEDと書かれているおもちゃで遊ぶことに意味があると思っています。正しく遊んでくれるのは理想的ですが、初めての命の勉強という立ち位置だけでなく、光ったり振動したりする面白いおもちゃくらいの受け止め方でもいい。まずは興味を持ってもらいたい」
そう話す坂野さんは購入者からのリアルな反応も活かしつつ、今後はより「トイこころ」を世に普及させていきたいと意欲を燃やす。
「広めたいのに広め切れていない感じがするので、前向きに量産を目指していきたい。『トイこころ』が、ごく当たり前に保育園や幼稚園、自宅のおもちゃ箱にある社会を作っていきたいです」
坂野さんが願う最終的なゴールは、「トイこころ」での遊びを通じて、心肺蘇生の実技を学ぶ「救命講習」へ自発的に参加する人が増えることだ。
「人間は、興味が持てないものを学ぼうとは思えない。だから、『トイこころ』は架け橋のような存在になってほしい。幼少期に楽しく遊ぶことで街中のAEDの存在に気づくようになると思っています。その後、AEDって何をする機械で、どういう時に使うんだっけと感じるようになり、救命講習を受けたいと思う人が増えてほしいです」
遊びを通して、命が救われやすくなる社会になることを願う坂野さん。熱い想いは「トイこころ」に乗って、購入者の心へ届く。
(まいどなニュース特約・古川 諭香)