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「何てばかなことを聞いたんだ」母亡くした少女をおんぶで病院へ…阪神・淡路で救出した大学生、30年ぶりの再会で蘇る後悔

まいどなニュース 2025年1月17日 6時50分

30年ぶりの再会だった。昨年10月14日午後、神戸市灘区桜ケ丘町。神戸大アメリカンフットボール部の元部員たちは、阪神・淡路大震災で救助に当たったこの場所を訪れていた。50代の輪の中に、一人の高齢男性がいる。中島喜一さん(77)。倒壊した2階建てアパートの中から、妻の彰子さん=当時(47)=と、当時中学3年だった次女を出してもらった。

「本当にありがとうございました」。頭を下げた中島さんが「オレンジのヘルメットの方が中に入ってくれたんです」と伝えると、部員は「それ、西ですね。今日は来られなかったんですが」と言い、記憶が重なっていく。しかしそこに、次女の姿はなかった。

トラウマティックなことが心配だった

神戸大アメフト部「RAVENS」が震災時に救助活動を行った―。そんな話を神戸新聞社の記者が聞いたのは、2023年12月。当時、部員5人が築50年超2階建てアパート「大日荘」に住んでおり、地震直後、大日荘を心配した周辺の下宿生たちが原付バイクで駆け付け、がれきに埋まった人を助けては六甲病院に運んだ。

部員たちが救助活動を行う中で、心に残ったのが、ある母子だった。当時3年だった西知巳さん(52)が屋根の隙間から入り、約7時間後に女の子を救出。隣で寝ていた母親は亡くなっていた。記者は過去の住宅地図を調べ、聞き込みを重ね、中島さん一家に辿り着いた。父と娘は「お礼を言えなかったことが心残りだったんです」と喜んだ。

再会の日は、親子の思いがかなう場面に立ち会わせてもらい、一緒に救助場所付近を歩いた後、神戸新聞社で話をする予定だった。だが、次女の気持ちは揺れていた。当日朝、記者にメールが届いた。「やはりあの場所での再会はリアル過ぎて、きついなと感じます。申し訳ないですが、新聞社から合流させてください」

後悔した一言

次女はワンピースで現れた。えくぼができる愛らしい笑顔にも緊張が浮かぶ。「心配だったのは、トラウマティックなことで。母の掘り起こしも、つらかったんじゃないかな、と。そんな思いをしてまで…」。言葉を選び、丁寧にお礼を伝えた。

助けるのに迷いは一切なかったこと、女の子のその後が気がかりだったこと…。部員たちも当時を振り返り、当時3年で、新チームの主将だった早田裕さん(53)が口を開いた。「震災のことは忘れようとしていたのか、曖昧なんです。でも今日、高羽交差点から続く坂道を見て、思い出しました」

あの日、早田さんはパジャマ姿の女の子をおんぶして坂道を上り、六甲病院へ向かっていた。何を聞いたかは覚えていない。「しゃべらなきゃ」という意識から、話しかけ続けた。「お母さんは?」。聞いた後、気まずい空気が流れた。「隣で寝ていたけど、呼んでも返事がなかった」。女の子は泣き出し、何もしゃべらなくなった。「それだけは鮮明に覚えていて。なんて、ばかなことを聞いたんだろうって」

「会えてよかった」

次女も早田さんのことを覚えていた。ただ、受け止めは少し違う。病院までの道がことごとくふさがる中、遠回りして運んでくれたことに感謝しかなかった。「私はあの時、感情がまひしていて、悲しいとか、何も感じなかったんです。意識を失わないように、名前とか、年齢とか、いろいろ聞いてくれたお兄さんだと思っていました」

帰りの時間が近づく頃、おみやげを交換した。アメフト部からプレゼントされたのは、部の公式グッズのTシャツやタオル。互いに思わず、笑みがこぼれた。

「会えてよかったです」。そう言って帰路に就いたアメフト部員たち。がれきの中で母子を見つけながら、きょう一緒に来られなかった西さんにも後日、LINEでメッセージを送った。

「女の子、めっちゃ元気な大人になってたで」

(まいどなニュース・山脇 未菜美)

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