怪異学の視点から大河ドラマ「光る君へ」をみてきたコラムも最終回となります。紫式部(演・吉高由里子さん)と藤原道長(演・柄本佑さん)の生きた平安時代の古記録や日記を読み解いてきました。平安貴族を脅かしてきた、「邪気」や「もののけ」「怨霊」などの霊的存在、陰陽師や験者(密教僧)の活躍、呪い、疫病や病気治療など登場人物の心の動きを知ることができる話題について、怪異学の視点で解説してきました。最後に「怪異学」についてまとめておきたいと思います。
東アジア恠異学会は、「怪異」を研究する学会として、2001年4月に西山克氏(京都教育大学名誉教授)によって設立されました。西山氏は、史料に多く記録されているにもかかわらず、研究をないがしろにしてきた歴史学に、新たな視点で挑む学問を「怪異学」と名付けました。妖怪・怪異・化物・幽霊などについては国文学や民俗学、文化人類学的な研究が先行し、なかでも、国際日本文化研究センターの小松和彦氏を中心とする「妖怪学」がめざましく進展していました。しかし、前近代の歴史資料には「妖怪」という語はほとんど使われておらず、「怪異」が頻出します。
怪異学が対象とする「怪異」は、現代語の怪異とは異なっている。『日本国語大辞典』(小学館)によると、
かいい【怪異】①現実にはあり得ないと思われるような不思議な事柄。また、そのさま。あやしいこと。②(―する)変だと思うこと。不審。③ばけもの。へんげ。
とあります。不思議なこと、あやしいことを示す語です。現代の日常語としての怪異の使用例をみると、妖怪・怪奇・奇跡等とともに無自覚に使用され、多様な内容を包摂する語として存在しています。
しかし、「怪異」は中国古代の漢語です。『漢書』董仲舒伝に
臣謹んで春秋の中を案じ、前世に已に行わるるの事を視て、以て天人相い与るの際を観るに、甚だ畏る可きなり。国家に将に道を失うの敗れ有らんとすれば、天は乃ち先ず災 害を出だして以て之を譴告す。自ら省みるを知らざれば、又怪異を出して以て之を警懼す。尚お変うるを知らざれば、傷敗乃ち至る。此れを以て天心の人君を仁愛をして其の乱を止めんと欲するを見るなり。大いに道を亡うの世に非ざる自りは、天は尽く扶持して之を安全ならしめんと欲すれば、事は彊勉に在るのみ
とあります。前漢の武帝に仕えた儒学者、董仲舒の「天人相関説」にもとづく考え方です。国家が今にも道を失う過ちを犯そうという時には、天は先ず「災害」を出すことで皇帝の過ちを咎めます。それを君主が省みないのであれば、次に「怪異」を出して驚かせ戒めます。さらに、それでも君主が態度を改めないのであれば、とうとう破滅がやって来るのです。天と人の行ないが連動し、為政者である皇帝の失政を戒めるために、天が「災害」「怪異」を起こします。「怪異」は「災害」と対になる語であったことがわかります。
天には天帝がおり、天がおさめる地上の世界が「天下」、天が皇帝を任命することを「天命」といい現代でも使われています。
7世紀には、この天人相関説が中国から日本に伝わります。ところが、王の失政を戒める天については、わが国では定着せず、神の「祟(たたり)」とそれを認定する卜占のシステムが日本古代の怪異認識の形成に影響を与えています。したがって、日本古代の「怪異」は、国家システムによって認定され、政治的な予兆として記録に残されていくのです。
時代がくだり「光る君へ」の時代になると、一般の貴族や知識人が、国家システムが認定する予兆に限らず、個人の日記などに「怪異」を記録するようになりました。
例えば、『日本紀略』延喜六年(906)八月七日戊子条に、紀伊国婁郡熊野村における奇形の牛の誕生を紀伊国が言上し、陰陽寮が「怪異」を勘申したところ盗みや兵乱のことの予兆とされ、国司に命じて警戒させた記事があります。十世紀には、政府が「怪異」と認定したものは、神祇官や陰陽寮が卜占を実施し、対処する方法が確立していたのです。「怪異」には、このような歴史的変化があることに注意したいと思います。儒教的な天人相関説とともに日本に伝来した漢語である「怪異」は、長い歴史を経て、各時代の社会や文化の状況に応じた変化を遂げて、現代に至っています。制度化され、政治的な語として受容された「怪異」が社会に定着していったのです。
さて、2024年12月に東アジア恠異学会は、8冊目の書籍『怪異から妖怪へ』(文学通信)を刊行します。
動物の異常行動や異常気象など、「怪異」と認定された情報は拡散・増殖し、時の経過とともに姿形などの輪郭を得て、すこしずつ私たちが知る「妖怪」に変容・変異してきました。この書はそんな「妖怪」の来歴を丁寧に読み解くことで、より探究心を得、新たな専門知を学ぶことができる入門書となっています。今回のコラムをきっかけにぜひ「怪異学」の扉を叩いていただければと思います。きっと不思議なコトやモノに対する新しい視点が開けると思います。
(園田学園女子大学学長・大江 篤)