「水!水ですよ!水!」。
2024年の5月19日と、11月30日にも、蛇口から水が出たことにX(旧Twitter)で喜びの声をあげたのは、石川県珠洲市にて伝統的な塩づくりを続ける「珠洲製塩」。
「年に2回も水のありがたみを実感するとは、人生色々です。全国の水道局の皆様、本当に何度も、何度でも…ありがとうございます!」
2024年1月1日の能登半島地震、11月21日の豪雨により、2度の断水に見舞われ、そんななかでの塩作り。その困難とともに、復旧に携わった水道局に当時の復旧作業について取材しました。
「水が出ないのは、一番困りますね」
「嬉しいですね!! 水は大事」
「おめでとうございます! ささやかな日常が戻って来ると嬉しい…」
「各地から応援に駆け付けた水道局の皆様による復旧作業工程も逐次拝見させていただき、『当たり前』を守ることの大変さを知った年になりました」
「各地の水道局や工事関係者の皆様がいてこそ維持されているインフラに、本当に感謝です」
と「珠洲製塩」による投稿に、我がことのように喜びの声と感謝の声が続出しました。
珠洲・輪島で約500年間受け継がれ、平成20年に重要無形民俗文化財に指定された「揚げ浜製塩」で、日本海側の外浦で塩作りする5つの事業者のうちのひとつである同社。海水を塩田にまいて乾燥させ、塩分濃度の高い「かん水」を作り、「釜炊き」によって水分を蒸発させて塩を作る、伝統的な製法を続けています。
元旦の地震で地震で、同社の2つある工場の1つが半壊、「かん水」を入れるタンクなどが破損。2月に再開し、5月に一度は水道が普及するものの、9月21日の豪雨で再び断水しました。
「釜炊き」を担当する真酒谷さんは、「薪を次々と足して、ぐつぐつと煮込んでかん水の塩分濃度を高める作業に使う“荒炊き”の釜と、薪の本数を調整しながら加熱する“仕上げ炊き”の釜の2種あります。仕上げ炊きの釜を水で洗わないと、釜自体が錆びたり、商品にならない塩なども混ざったりするんです。水が出ないのは一番困りました」と、水の重要性について説明。
社長の山岸さんも、「できた塩にゴミなど入ることがあるのですが、取り除くための道具や、重さを量る機械を使用した後に洗うのにも水がいるのです。従業員とともに困りはてました」と当時の状況を振りかえります。
水道水が出ない間は工場のタンクに海水を汲み、バケツですくって洗浄。海水が使えない機器には川の水やウェットティッシュを使用。9月の豪雨以降は、知り合いのボランティアの人に頼んで、珠洲市の中心地の方から水道水を繰り返し運んでもらったそうです。
「トイレってこんなに水を…」
断水の影響は塩づくりだけでなく、製塩所で働く環境も厳しいものに。
社長の山岸さんの孫で、SNSなどの広報を担当し、今回の投稿者でもある小沼さんは、「地震後の一時期は川の水を使って料理していたのですが、川の水で米を炊くと、味がどうしても砂っぽくなってしまいました」。豪雨のときは土砂で川がせき止められて、その水も使えず。多めに配られた応急給水でなんとかしのぐことができたそうです。
また、下水ではなく浄化槽のため水があればトイレを使用できたものの、「トイレって、こんなにも水を使うのかと。毎回10リットルを使うので、その度に準備するのは大変でした。そんな状況下では、水を使っての掃除が難しく、だんだん汚くなってきてしまいました」と、ストレスフルだった日々について語ります。
2度の断水の経験から、小沼さんは「水道局の方々がどういった仕事をしているのか、これまでちゃんと理解できてはいませんでした。今回、給水車での給水、道路で仮設の水道管を通す復旧作業を目の当たりにして大切さがよくわかりました」と感謝を込めて投稿したとのことです。
珠洲市の水道施設の復旧に携わった水道局に取材
2回の断水を復旧させるため、飲み水などを運ぶ応急給水に日本各地の水道局、水道事業者が関わっていました。
「水道事業体で構成されている『公益社団法人日本水道協会』(以下、日本水道協会)では、災害が起きた時は被災地の応援に当たることになっています。日本水道協会には地方ごとに支部があり、愛知県と石川県は中部9県からなる中部地方支部に所属。名古屋市は中部地方支部のなかで支部長となる都市のため、石川県で起こった災害で2度に渡り携わることになりました」(名古屋市上下水道局の防災課の松井さん)
今回は、「名古屋市上下水道局」と、珠洲市での復旧に携わった「仙台市水道局」を取材しました。
「地震から復旧も、豪雨で土砂に…」
名古屋市上下水道局は、地震発災当日の深夜に現地入りし、6月上旬まで復旧に尽力。豪雨は翌日の9月22日に現地入り、12月4日まで作業を続けました。
防災課の松井さんは、「地震の時は被害がかなり大きく、取水施設(川などから水を引きこむためのダムや堰、取水口、導水管など)の全体が壊れてましたので、復旧に時間がかかり、断水も長期化しました。すぐにでも直したかったのですが、それができなくて大変でした」と振りかえります。
地震による大規模な被害は、職員の“滞在”そのものにも影響。発災直後、名古屋市上下水道局は珠洲市と七尾市を中心に復旧にあたっていましたが、七尾市には宿泊できたものの、珠洲市には発災当初、宿泊施設を確保できず。
「最初は隣の能登町に宿泊して、時間をかけて珠洲市に通っていました。復旧が進むにつれ宿泊地も珠洲市に近づいてきて、最終的には珠洲市内に宿泊施設を構えるように。宿泊地が転々としたことでの負担感はありました」
また豪雨の後は「地震から復旧したところが土砂で埋まったり、川にある水道管が破損したりしていました。水道管は河川を横断するような形で渡してあり、増水すると支えている部分が水の勢いで流れて壊れてしまったのです」。河川や山間部に被害が集中したようです。
こういった復旧工事や給水の様子をSNSで公開。1000人程度だったフォロワー数が5500人近くまで増えた同上下水道局。
「能登関係の投稿をすると『いいね』が一桁くらい違うので、それだけ関心が高いのでしょう。『地震に続き、大雨の時もありがとうございました』などのコメントも頂きました。普段の仕事でほめられることがないのでありがたかったです」
2つの災害からの水道復旧を振り返り、松井さんは次のように語ります。
「地震や豪雨などの災害時、断水するリスクがありますので、水の備蓄をしていただきたい。日頃から啓発しているんですが、災害時はより実感することになりました」
「バックアップが困難な状況」が復旧の遅れに
1月15日から5月1日まで珠洲市での復旧に携わった仙台市水道局にも取材しました。
水道危機管理室の浪岡さんによると、東日本大震災への対応の経験が活かされたそうです。
「危機管理マニュアルを整備し毎年更新していた応援派遣の手順や、派遣者の事前登録、応援派遣用装備セットの準備など日ごろからの備えが有効でした」。また、「日本水道協会」による東日本大震災の経験を踏まえた対応として、「発災後早期から地区ごとに地方支部を割り当てるパッケージ支援」「組立式仮設水槽(給水タンク)を活用した運搬給水」があったと言います。
浪岡さんは、今回の珠洲市での水道の復旧で難しかった理由は、3つあったとのこと。
1)取水施設・導水管(川などから引き込んだ水を浄水場に送る)・浄水場・送水管(浄水場から水を溜める配水所まで水を送る)等の基幹部の被害が多く、復旧までに長い時間を要した。
2)半島の末端という地理的要因もあり、被災地近辺での宿の手配が困難であったため、現地までの往復に時間がかかるなど作業時間の制約もあり、厳しい条件下での作業だった。
3)1つの浄水場が、1つの水道管の管路によって、水の供給先である地区につながっている状態であり、バックアップ(水を他の浄水場等から融通すること)が困難な状況であった。
1)と2)は、名古屋市上下水道局と同様で、被害の大きさ、復旧のための滞在の困難さがうかがえます。
3)については、災害発生時に断水を長引かせないために、別の浄水場の地区同士で水が融通できるように水道管の複数系統化(冗長化)を進めている地域もありますが、珠洲市では震災以前に対応されていなかったようです。震災後、珠洲市の復興計画として、近隣自治体と連携してのバックアップ体制の強化が議題にのぼっています。
仙台市水道局が石川県で行った応急給水や水道の復旧といった応援活動については、公式サイト内の「令和6年能登半島地震に伴う石川県での応援活動について」で公開。応援活動も含めた取り組みについては公式Xアカウント(@sendai_suido)で発信されています。
◇ ◇
水道局への感謝を発信した「珠洲製塩」の塩は大阪の老舗料理屋などでも使用されているとのこと。小沼さんは「断水の中でも塩づくりを続けてきたので、一生懸命作った塩をぜひ味わっていただければ」と語ります。また、Xでは能登を支える方法として「ボランティア、義捐金、加賀地方での観光」を挙げつつ、「能登には素晴らしい製品やおいしい農産物、海産物があります。お手元に能登のものを置いてみてはいかがでしょうか」と、能登産の物品を買い支えることを提案しています。
また、取材中に印象的だったのは、輪島市出身の真酒谷さんの言葉。輪島の朝市が地震によって“燃えた”と報じられたことについて、「燃えたのは『朝市通り』で朝市そのものは燃えてないんです。ネットとかでいろんなふうに言われているけれど、現地に来て欲しいと思っています。書く前に、言う前に」。被災地の情報を発信する立場、それを受け取る立場、それぞれのあり方が問われているようでした。
(まいどなニュース/Lmaga.jpニュース特約・谷町 邦子)