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故フジコ・ヘミングさんが、疎開中に練習したピアノ 実は解体寸前だった…77年ぶりの再開は、ある男性が起こした奇跡

まいどなニュース 2025年1月16日 7時15分

 昨年4月に92歳で亡くなった世界的ピアニスト、フジコ・ヘミングさんが戦時中、疎開先の岡山県総社市で毎日練習したという旧日美小(旧昭和小の前身、現昭和五つ星学園義務教育学校)のピアノ。2022年にヘミングさんが77年ぶりに再会し、話題を呼んだが、実は今から25年以上前、地元男性によって解体寸前の難を逃れたエピソードはあまり知られていない。

 今にも建物のがれきに押しつぶされそうな1台のピアノの写真。写真脇には工事業者の事務所に「吾(われ)を忘れて」駆け込み「今日まで六十数年生き抜いた名器」だと説得、解体を免れて修理が決まると「涙するほど」喜んだ様子がつづられている。

 言葉を書き留めたのは18年11月に93歳で亡くなった樋口弘(ひろむ)さん。おいの長郎(みちお)さん(78)=同市=が昨夏、親族から渡された弘さんのアルバムの中から旧昭和小体育館の建て替え工事(1999年完成)の現場で撮ったとみられる写真を見つけ、秘話が明らかになったという。

 旧日美小は弘さんの母校。長郎さんは「ヘミングさんのことは知らなかったと思う。ゆかりの品を守りたい一心だったのだろう」と推し量る。

 体育館の建て替え工事後、ピアノは式典などで大切に使われ、現在は昭和五つ星学園義務教育学校(同市美袋)に保管されている。

 太平洋戦争末期の45年4月、当時女学生だったヘミングさんは東京から祖父の出身地である旧日美村(現総社市日羽)に疎開。終戦まで暮らし、旧日美小に通ってピアノの練習に励んだ。

 「岡山での日々はいい思い出で、今の私の肥やしになっている」―。ヘミングさんは2022年にドキュメンタリー映画の製作の一環で旧昭和小を訪れ、児童たちの前で思い出深いピアノを奏でた。

 アルバムの写真や弘さんの言葉、ヘミングさんに関する新聞記事を冊子にまとめ昨秋、親族に配った長郎さんは「(保存に向けた)叔父の頑張りは誇り。本人も喜んでくれているのでは」と話している。

(まいどなニュース/山陽新聞)

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