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40年愛された店失った74歳ママ、再起決意 いわき繁華街火災

毎日新聞 2024年6月19日 7時0分

 福島県いわき市のJRいわき駅前の繁華街で5月26日に発生した火災で、約40年間、切り盛りした店を失ったものの、常連客に背中を押され、別の場所での再起を決めた女性がいる。スナック「葵(あおい)」のママ、野崎恵子さん(74)だ。客の身の上話を聞きながら、時代の移り変わりを見てきた。情緒ある町が焼けて寂しい思いもあるが、心機一転、もう一踏ん張りするつもりだ。

 火災は日曜の午前中に発生した。店から徒歩10分の自宅にいた野崎さんは昼過ぎ、友人から「店の付近が燃えている」との連絡を受けて駆けつけたが、周辺は既に火の海で、通りを一つ隔てた路地からぼうぜんと眺めることしかできなかった。「何もかも終わった」と、全身の力が抜けた。

 現場は駅前の「田町」と呼ばれる繁華街で、主に木造のビルが密集していた。市消防本部によると、5棟が全焼するなど計13棟が被害に遭い、テナント79件中、37件に損害が出た。「葵」もその1件。店内は炎と消火活動の水のため無残な姿となった。

 店を始めて約40年。当時は役場の関係者を中心に大勢の客でにぎわった。芸者が歩く姿も見られ「情緒があった」という。約15平方メートルのこぢんまりした店内は7人掛けのカウンターとボックス席が一つ、ピアノ教師で9年前に74歳で亡くなった夫・進さんの形見となったアップライトのピアノが1台。狭いながらも「1人だし、ちょうどいい」と、気に入っていた。

 店で知り合い結婚したカップルがいたり、喜寿を迎えた客を祝って盛り上がったり。一方で、女性との別れ話や上司との人間関係など、悩みや愚痴をこぼす客をカウンター越しに「そうけ、そうけ」と聞いてきた。

 東日本大震災では自宅の片付けなどで店も約1カ月半休んだ。再開すると、ドアを開けて入ってきたのは津波で家族を失った人、自宅2階の柱にしがみついて間一髪で助かった人、東京電力福島第1原発事故で避難を繰り返した末、いわき市にたどり着いた人……。皆、問わず語りに胸につかえた思いをはき出していった。「誰かに聞いてほしいって顔をして。話して少しは楽になったみたい」と振り返る。

 さらに新型コロナウイルスでも店を閉めたが、再開して軌道に乗ってきたと思ったときの今回の火災だった。焼け野原のような現場を目の当たりにして気落ちしていると、常連客が心配の電話をくれた。店の後片付けを率先して手伝ってくれた人もいた。人のありがたさが身にしみた。

 「こんな形で終わるのは残念すぎる」と思うようになった。「田町」からは少し離れるが、新しい場所で看板は「葵」のまま、出直すことにした。「人は1人では生きていけないということを本当に感じる出来事だった。あとどれくらい続けられるか分かりませんが、お客さんの希望に応えたい」。そう言って前を向いた。【柿沼秀行】

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