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山頂でチューバ演奏、一期一会の天空ライブ 全国に幸せ運ぶ音楽家

毎日新聞 2024年6月30日 10時0分

 琵琶湖を見下ろす三上山(滋賀県野洲市)の山頂に、アメージンググレースの美しい調べが響き渡った。うっとりと聴き入る登山客の前には「幸せの黄色いチューバ」を奏でる本橋隼人さん(42)。「低音の伴奏楽器のイメージが強いチューバの魅力を伝え、皆をハッピーにしたい」。47都道府県の山頂でチューバを奏でる旅を続ける、ちょっと変わった音楽家に同行した。【礒野健一】

 5月下旬のよく晴れた日。登山の出発点となる御上神社(野洲市三上)で本橋さんと合流した。肩に担いだチューバのケースが目立つ。見た目には重そうだが、チューバは特注のプラスチック製で、オーケストラなどで使うものよりは軽いらしい。それでもケース込みで10キロはあり、担いで山を登る姿はやはり「変わっている」と言わざるを得ない。登山と演奏の様子は後日、動画投稿サイト「ユーチューブ」で配信するため、要所ごとに撮影しながら山を登っていく。

 東京出身の本橋さんは小学5年からチューバを始め、洗足学園音楽大を卒業後、2020年まで東京ディズニーリゾートで演奏者として活躍。現在はソロやアンサンブルでコンサートを開くほか、iU情報経営イノベーション専門職大学の客員准教授として後進の指導にも当たる。

 「山頂でチューバ演奏」を始めたのは、新型コロナ禍がきっかけだった。コンサート活動がままならなかった21年、本橋さんは元日から大みそかまで1日も欠かさず演奏動画を配信した。本橋さんを直接知らない多くの人から反応をもらい、「顔を合わせなくても音楽でつながることができる」と実感した。「コロナ禍でさまざまな演奏家が個性的なライブ配信を始め、少しくらい変な企画でも受け入れる文化が醸成された。22年に富士山に登り『山で演奏するのも面白いな』と思い、やるなら全国を巡ろうと始めた」と笑う。

 旅は23年1月に神奈川県の六国見(ろっこくけん)山からスタート。気軽に登れる標高500メートル以下の山を条件に全国を巡り、近江富士の愛称で知られる標高432メートルの三上山を選んだ滋賀県は35府県目だ。誰とも会えず終わることもあれば、すれ違う登山客と音楽の話で盛り上がることもある。「一期一会のライブ感がやみつきになる」と魅力を語る。

 三上山登山は御上神社から約1時間の行程。表道は岩場が多く、初心者向けの裏道を選択したが、登山口からすぐに急登が続く。本橋さんは息を切らせながら、チューバケースを担いで黙々と登っていく。途中にある鎖場では少し顔をゆがめたが、歩調は乱さなかった。

 山頂に着くと休憩していた登山客たちがチューバケースに気付き「まさか演奏するの?」と尋ねてきた。本橋さんが「これからライブなので良かったらどうぞ」と笑顔で誘うと、次々と人が集まってきた。山頂は手狭なため、会場は少し下った琵琶湖を眼下にする展望台にした。チューバがお目見えすると自然と拍手が起こる。観客はいつの間にか20人を超えていた。

 爽やかな初夏の風の中、本橋さんは優しく軽やかに4曲を奏でた。岩場に立つ本橋さんの背には青空が広がり、さながら天空ライブだ。甲賀市の鎌田圭司さん(63)は「ドンと体に直接音が届く。風景も素晴らしく、一生の思い出になった」と感激していた。

 本橋さんは「今日出会った人たちは、音楽を聴きたくて集まったわけじゃない。たまたま山頂にいただけ。でも、音楽を心から楽しんでくれた。これ以上ない一期一会が生んだ奇跡のライブに僕も感動し、山頂という非日常空間で演奏する意義を見つけた気がする」と感慨深く語った。

 これまでの動画は本橋さんのユーチューブチャンネルで見ることができる。「2周目も考えている。チューバの認知度を上げ、音楽の可能性を模索していきたい」と本橋さん。予定では今年中に全都道府県を制覇するつもりだ。どこかの山で黄色いチューバを見かけたら幸せになれるかもしれない。

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