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農業基本法改正、中身には課題残る 明治大教授・作山巧さん

毎日新聞 2024年7月2日 16時0分

 農政の基本方針を定める改正「食料・農業・農村基本法」が5月の参院本会議で可決、成立した。制定以来25年ぶり、初の改正だ。基本理念に「食料安全保障の確保」を加え、食料の持続的な供給に向けた「合理的な価格形成」という考え方を示した。生産者と消費者の双方に「費用」との向き合いを求めている。その中身は正しいのだろうか。元農水省大臣官房企画室企画官として改正前の同基本法策定に携わった明治大農学部教授、作山巧さん(58)に考えを聞いた。改正法の国会審議では、参院農林水産委員会で参考人として意見陳述をしている。評価は辛口だが、プロの政策提言がある。【聞き手・三枝泰一】

  ――基本法の改正自体をどうみますか。

 ◆現行法の公布から25年。惰性で農政が動いている側面も否定できないだけに、今一度立ち止まって、政策を根本的に考え直す時期に来ていると考えていました。ウクライナ戦争を経て、食料安全保障の議論が現実感を持って語られるようになった影響もあります。

 ――中身には課題が残ると?

 ◆総論的に言うと、25年ぶりの改正にしては検討の期間が短く、過去の政策の検証と評価が十分ではなかった。条文の変更が多く、食料自給や食料安保など掲げる目標も多い一方で、それを実現させるための生産基盤の強化につなぐ新たな支援策に乏しいという問題もあります。「アメとムチ」で例えると、支援策は「アメ」で、今回新設された非常時における強制的な増産要請や、食料自給率の目標達成の調査などは「ムチ」に当たります。新たな支援策を期待した人には「条文をいじっただけの『やったふり』」という印象を与えるかもしれません。

 ――一方で、農業の経営体を巡る議論では、専業農家や法人など大規模な「担い手」に農地を集中させる現在の方向性とは逆に、「多様な農業者」が農地を確保できるように配慮することを盛り込みました。

 ◆生産者自体がこれだけ減ってしまった現状では、中小・家族経営の農家も存続可能にする施策が必要だ、という意見があります。大規模な経営体だけでは地域は守れないという現場の声も聞きます。一方で、問題なのは生産者の数ではなく、たとえ少数であっても競争力のある大規模な経営体に生産資源を集中させれば目標の生産量は確保される、という考え方もあります。農業の成長産業化を目指す主張です。競争力があれば支援は要らないという論理で、先に示した「ムチ」を支えています。両論でせめぎ合いがあり、押し切ることはできなかったのではないでしょうか。表現はあいまいで、明確な方向性は打ち出せなかった印象です。

 ――「アメ」を出さないのはなぜでしょうか?

 ◆端的に言えば、財務省が予算を付けないからです。国にカネがないことに尽きます。

 基本法の策定に関わった経験でお話をしますと、私は、中山間地域等直接支払制度の導入を担当しました。農業生産に不利な中山間地であっても、農地を維持していくための取り決めを集落で結び、面積に応じて交付金を支払う仕組みです。平場の農地との格差をカバーし、耕作放棄地の拡大を防ぐことを目指す制度ですが、当初の財務省の反応は厳しかった。年間予算規模は約300億円ですが、「米は余っており、転作助成を減らすためにも、条件の悪い農地はなくなった方がよい」という反応でした。こちらの切り札は、水田の貯水力など農業の持つ多面的機能の立証でした。多面的機能は他の産業にはないため、「(中山間地以外の)他分野には支給対象が広がらないカネだ」ということを財務省が認識し、安心を勝ち得たことが本当の決定打でした。

 ――本当にカネがないのでしょうか?

 ◆つくり出すことはできると思います。参院の農林水産委員会で陳述したのですが、最近の円安で空前の利益を得た輸出産業への新たな課税は有望な財源になります。円安による生産資材の高騰で農業は損をするので、負担と受益の考え方からも妥当です。

 ――カネの話になったので、改正法に盛り込まれた食料の「合理的な価格形成」について伺います。ウクライナ戦争で顕在化したコストプッシュ・インフレを受け、食料価格には「合理的な費用が考慮されるようにしなければならない」とし、価格転嫁を促す姿勢を示しました。

 ◆改正法は「食料の円滑な入手の確保」という文言で消費者が求めるものを明記し、次に生産者の視点で「食料の持続的な供給に要する費用の考慮」を求めています。他方で、農産物の価格形成については「需給事情及び品質評価の反映」という市場原理による決定を規定しています。食料価格は消費者にとっては安い方がよく、生産者にとっては高い方がよいわけですが、改正法は矛盾した中身を併記しただけで、解決策を示しているわけではありません。

 価格転嫁を促すにしても強制力が伴わなければ実効性は乏しいし、独占禁止法との関係で強制はできません。政府は業者間に価格交渉を促す仕組みをつくる方針ですが、仮に促せたとしても、それは食料価格の上昇に直結し、低所得者の生活を直撃します。

 ――それでよいのでしょうか?

 ◆私が提案するのは、生産者への直接支払いの導入です。特定の農産物の販売価格が恒常的に生産費を下回った場合に、その差額を補助金として生産者に直接支払う仕組みです。欧州では一般的な制度で、民主党政権時代に実施された農業者戸別所得補償制度はその一例です。重要なのは、すべてが生産者の取り分になるのではなく、価格の低下を通じて消費者にも利益が及ぶ点にあります。現に、米の戸別所得補償制度が実施された2010、11年には生産者の所得の上昇と米の消費者価格の低下が同時にみられました。良質な食料を安定的に供給するためのコストを生産者に負わせるのではなく、政府が責任を持つ仕組みでもあります。

 ――先ほどの税財源の話とも絡む?

 ◆相続税、法人税、所得税のような累進構造を持つ税の税率引き上げで、その財源にする形を提案します。一定の金額が高所得層から低所得層へ移転し、食料価格の低下で低所得者のエンゲル係数も下がる。経済格差の縮小につながります。

 ――もう一つの論点は、食料自給率の向上でした。改正法は食料自給率の目標を設定し、達成状況を調査するとしています。

 ◆過去の検証と評価が十分ではないのは、まさにこの点です。食料自給率は、食料の国内消費量を分母、国内生産量を分子とし、国内消費に占める国内生産の割合を示したものですが、これは食料安全保障に関する指標にはならないと考えています。

 ――なぜですか?

 ◆国内で自給できる品目の国内消費量が減れば自給率も下がるという視点が抜け落ちているからです。米や近海で取れる魚介などの消費量の減少が、近年の自給率低下の主因です。つまり、食料自給率をモノサシにするならば、消費者の食生活を国産食料中心に切り替えることが最も必要ですが、実際にはその逆のことが続いているのはご存じの通りです。実は改正前の基本法には、食料自給率の目標を「食料消費に関する指針として」という条文があり、国産食料中心の食生活に持っていく企図がありました。しかし、政府が実際に「輸入牛肉をやめて米を食べよう」と国民の食生活に踏み込むようなことはできなかったわけで、今後もできないでしょう。

 ――では、何を基準にすべきでしょうか。

 ◆「食料自給力指標」です。先ほどの食料自給率の分子の要素、つまり現在の農地、農業技術、農業労働力をフルに投入して、国内で供給可能な食料の熱量を算出したものです。熱量が一番高いイモ類に作付けを絞れば1日当たり2332キロカロリーの供給が可能で、1日に必要な摂取熱量2152キロカロリーをなんとかクリアできますが、生産基盤がこのまま衰えれば、30年度にはこれを下回ることが想定されています。念のために付け加えれば、これは作付けをイモに絞った話であり、米や小麦では現時点でクリアできなくなります。

 ――つまり、先のお話に出た分子を構成する生産基盤の強化が必須であると?

 ◆生産者への直接支払い制度の導入で実現させます。生産基盤の新たな強化策が示されなかったことと、食料価格形成に向けての矛盾点の放置が問題だとお話ししましたが、二つの課題は関連していることがお分かりになったと思います。直接支払いには、生産者、消費者双方の実質所得を向上させる政策効果があります。生産基盤の強化と経済格差是正の一挙両得が期待できる。食料安全保障の議論の前提だと考えます。

さくやま・たくみ

 1965年、岩手県出身。88年、岩手大農学部卒。94年、英ロンドン大大学院優等修士(農業経済学)。95年、英サセックス大大学院修士(開発経済学)。2011年、青山学院大大学院博士(同)。88~13年、農水省勤務。国連食糧農業機関(FAO)エコノミストなどを歴任。明治大農学部准教授などを経て18年から現職。著書に「日本のTPP交渉参加の真実」「農政トライアングルの崩壊と官邸主導型農政改革」など。

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