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亡き夫と夢見た農家民宿、福島・飯舘村で開業 「生涯現役で頑張る」

毎日新聞 2024年7月13日 9時0分

 東京電力福島第1原発事故で福島県飯舘村から福島市に避難した農業、渡辺とみ子さん(70)が、帰還がかなった飯舘村の自宅で農家民宿「古今呂(こころ)の宿 福とみ」を6月にオープンした。大工だった夫・福男さん(2018年に67歳で死去)の夢でもあり「一緒に進むことはできなかったが、何としても実現したかった。私は生涯現役で頑張ります」と亡き夫を胸に復興の道のりを歩む。

新品種のカボチャ、避難後も育て続け

 「こっちの方向に伸ばしたいので、こっちに向いた勢いの良い芽を残してこの新芽を摘んでください」

 6月20日。飯舘村の新品種のカボチャ「いいたて雪っ娘(こ)」を育てる渡辺さん宅近くの畑で、明治大農学部で生産者と消費者をつなげる活動を展開する本所靖博准教授のゼミ生3人が、渡辺さんから手取り足取り農作業の指導を受けた。成長を抑えて実を大きく育てるための「芯止め」だ。学生たちは0・7ヘクタールの広大な畑に移って黙々と作業。摘んだ新芽は昼食のピザの具材にして食べた。朝食も渡辺さんの畑で取れた野菜を自分たちで調理していた。

 その後、渡辺さんは原発事故後の避難生活や農家として復興を目指してきた歩みを語り部として伝えた。同大3年で東京出身の益田大誠さん(20)は「雪っ娘は今、とみ子さんたちが育ててきたおかげで生産者が全国に広がり、この民宿は飯舘に戻るのを諦めなかった証し。継続することの大切さを感じます」。渡辺さんは「若い人と交流でき、農業や震災のことを伝えることができる。私の宝物です」と民宿を残してくれた亡き夫に感謝していた。

 渡辺さんは福島市出身。嫁ぎ先の飯舘で「平成の大合併」の議論に加わったのを機に地域づくりに取り組んだ。その中で地元の育種家、菅野元一さんが開発した「いいたて雪っ娘」に出合った。白くて光沢のある実を切ると甘い香りが漂い、しっとりとした上品な甘さにひかれ、本格的に農業の道へ。仲間の女性たちと栽培や普及に打ち込んだ。

 自宅敷地内に福男さんが建ててくれた6次産業化の加工施設「までい工房美彩恋人(びさいれんと)」を07年に開業した。「までい」は「丁寧」を意味する地元の方言で、丁寧な暮らしや食の提案を目指してきた。

 ブランド化を目指す矢先の11年3月11日に東日本大震災が発生した。カボチャの品種登録が認められたのはその4日後だった。飯舘村は全村避難となり、避難先の福島市荒井で休耕田を借りた。夫妻の手作業で粘土質の硬い畑に畝を作って一から栽培。必死に種をつないだ。福男さんはここにも加工場を建ててくれ、13年に「美彩恋人」を再開できた。マドレーヌやジェラート、ドレッシング、プリンと精力的に商品開発をした。

「無理かも」と思っても…自ら奮い立たせ

 農家民宿は以前から福男さんの夢で、古民家の物件も探していたが、原発事故で白紙に戻っていた。17年3月末で飯舘村の避難指示は大半の地域で解除され、除染された自宅の畑と福島市の2拠点で再出発した。福男さんも心機一転、農家民宿の開業を目指して自宅を改修したが、以前に見つかっていたがんが脳にも転移した。18年のクリスマスイブに自宅で最期を迎えた。

 「一番の理解者」を失った渡辺さんだが「『無理かも』と思っていた飯舘での営農が再開できた。植物は原発事故の中でも生きてきた。諦めてはいられない」と奮い立った。23年6月には飯舘での「美彩恋人」の活動を再開させた。自宅の大規模改修も完成させ、妹・加藤真理子さん(64)ら仲間たちの手伝いも受けて、夫と自身の名前から取った農家民宿を開業した。

 木の香りが漂う客室2室には最大7人宿泊でき、地元の野菜をふんだんに使った朝食付きで1人6600円、夕朝食付き7700円から。カボチャの栽培や、新芽や種など副産物まで余さず活用する調理法、保存食の凍(し)み餅や凍み大根といった伝統食作りなどの体験を提供する。渡辺さんが語り部となって原発事故の体験も伝える。渡辺さんは「親戚の家に来て『かーちゃん』の味を懐かしんでもらえる雰囲気を届けたい。飯舘村のファンになってほしい」と意気込む。

 宿泊の申し込みは予約サイト(https://reserva.be/iitate_fukutomi)へ。【錦織祐一】

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