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進行する筋ジス「だけど僕は生きていく」 21歳、覚悟を詩に

毎日新聞 2024年7月29日 8時30分

 障害を持った人がつづった詩に曲を付け、ステージで歌う第49回わたぼうし音楽祭(奈良たんぽぽの会主催、毎日新聞社、毎日新聞社会事業団など後援)が8月4日、奈良県大和郡山市の「DMG MORI やまと郡山城ホール」で開かれる。今年は315編の詩が寄せられ、選ばれた8編の詩から303曲もの歌が生まれた。当日に演奏される入選作の作詩者や作曲者に思いを聞いた。

 悪化していく病状への不安と、それでも前を向いて生きていく決意を短い詩に込めた「僕は生きていく」を作詩した山本和真さん(21)=北海道白老町=が、筋力低下が進む難病「筋ジストロフィー」と診断されたのは物心が付く前の2、3歳の頃だった。立ち上がるのに時間がかかるのを心配した両親が受けさせた検査で、遺伝子の変異が原因の難病と分かったという。

 それでも、当初は周囲の子供と一緒に走り回り、兄や姉と剣道の道場にも通った。医師からは「いずれ歩けなくなる」と言われていたが、何のことか分からなかった。分かりたくもなかった。

 しかし、小学3年生になる頃には足に力が入らなくなり、何もない所で何度も転んだ。住んでいた団地の階段からも転げ落ち、登下校時には怖くて足が震えた。「今までできていたことが、だんだんできなくなる。何で自分だけみんなと違うのかと悔しかった」

 詩は山本さんが小学4年で車椅子を使い始めたところから始まる。以前から体に合わせて調整してきた車椅子は動きやすく、格好よかった。ただ、筋ジストロフィーに特効薬はなく、一般的に患者の平均寿命も短い。これから自分がどうなっていくのか、不安で仕方なかったという。

 中学3年からは、実家から約150キロ離れた養護学校に移った。隣接する病院に入院しながらの通学。そこで出会ったのが、今回の作曲者で音楽教諭の田中貴志さん(51)だ。「当初はぼんやりした印象だった和真くんが、障害としっかり向き合って生きていく強さを見せるようになった。和真くんのファンになった先生はすごく多い」と話す。

 今回の歌は2021年、前向きに生きていこうとする山本さんの詩に、感動した田中さんが曲をつけたものだ。山本さんは当時高等部3年。「もしも僕がもう一度」という表現には、言葉にすることもできなかった多くの願いが込められている。自由に旅をしたい、お酒も飲んでみたい、病気を治したい――。

 北海道医療センター(札幌市)に入院する現在も、病状は緩やかに悪化している。肩は上がらなくなった。足はほぼ動かない。トイレも便座に座れなくなった。最後の大旅行として会場に行く計画を立ててきた「わたぼうし音楽祭」も、直前で泣く泣く断念した。

 詩は「だけど僕は生きていく 命のつづくときまで」と続く。山本さんは「この病気のことを知ってもらいたい。治療薬の開発や介護ボランティアの増加につながってくれれば」と祈るような表情を見せた。【稲生陽】

「僕は生きていく」

僕が10歳に なったその日から

僕は車椅子に 乗ることになった

確かに身体は 楽になったけど

僕の心の中は 不安しかなかった

僕はこれから どうなるのかな

くよくよしても しかたないけど

もしも僕がもう一度 歩くことができたなら

家族のみんなと一緒に ごはんの準備をしてみたい

もしも僕がもう一度 走ることができたなら

野球選手を夢見て いつまでもボールを追いかけただろう

だけど僕は生きていく 命のつづくときまで

今を生きる喜び みんなと一緒に分かち合い

今を生きる幸せ 忘れずに いつまでも 歩んで行こう

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