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「昔、ヤクザでシャブ中で」49歳のマナブ、どん底からのリスタート

毎日新聞 2024年8月5日 5時30分

 罪を犯して刑に服し、また罪を犯す。30代後半までそんな人生を送ってきた元暴力団組員のマナブこと遊佐学さんは今、49歳にして新たな道を歩み始めました。その姿を通して「やり直し」ができる社会を描きます。

 築40年のその家は、しばらく誰も住んでいなかった。

 5DKの部屋はふすまで仕切られ、押し入れの上には天袋がある。目立たない一戸建てだ。

 430万円で売りに出されていた栃木市の空き家を7月、不動産屋から鍵を借り受けた一人の男性が訪れた。

 「いいじゃない」

 昭和の香りがする室内だが、張り替えられた新しい畳の匂いがした。

 彼の名はマナブという。本名は遊佐学。1月で49歳になった。

 左腕に注射痕がうっすらと残り、上半身には竜と不動明王の入れ墨がある。

 マナブはかつて、ヤクザだった。

 東京・新宿の歌舞伎町に住み、夜には険しい目つきで街を歩いた。

 覚醒剤を毎日何本も打ち、一時は幻聴と幻覚でボロボロになる。

 そんなマナブはこの春、6年ぶりに故郷に帰ってきた。

 ここで始めようとしていることがある。

 そのために手持ちの資金の大半を、空き家の購入につぎ込んだ。

 「まずは始めること。やっていけるかは、分かんないですね」

過去3回、少年院と刑務所に

 この5カ月前、栃木市の小料理屋の2階で、ある集まりがあった。

 参加者は十数人。東京から駆けつけたマナブの友人や、地元の古い仲間たちだ。

 「今日は初めての『セカンドチャンス!』の栃木交流会ということで。この集まりは定期的に開きたいと思っています」

 冒頭、主宰したマナブが簡単なあいさつをすると、みんなが手をたたき、杯を交わした。

 「セカンドチャンス!」は少年院出院者による自助グループだ。

 「少年院を出た少年や少女が孤立しないための居場所を」と2009年に始まった。翌年にはNPO法人化し、関東を中心に少年院を訪ねて差し入れをしたり、体験を語ったりしている。

 6年前から活動に加わったマナブも10代の頃、少年院にいた。

 出てからも度々、悪事に手を染め、刑務所に2度入った。

 「ヤクザやって、シャブ中で。過ちを犯しては、他人のせいにしてきました。そんな若い頃の自分にはなかった『気づき』を誰かに提供できればいいなと」

 50歳を目前にし、マナブがやろうとしていること。

 それは、少年院や刑務所を出ても行く当てのない人を受け入れ、再スタートに向けて背中を押す「自立準備ホーム」の設立と運営だ。

 そのために2月、それまで働いていた障害者施設をやめ、住んでいた川崎市のアパートも引き払い、故郷に戻ってきた。

夕日が寂しい街で「ワル」に

 生まれ育った栃木市は、東京まで鉄道で1時間ほど。15万人が暮らす地方都市だ。

 関東平野の中北部にあり、晴れていれば毎日、山並みに沈む夕日が見える。

 「小さい頃は、高いビルも何もないし、つまんねえところだなって思ってました。それに夕日って寂しくないですか」と笑う。

 地元の公立小中学校に通い、強い意識もなく自然と「ワル」になった。

 初めて校舎の裏でたばこを吸ったのは小学5年生。

 中学では野球部に入り、意味もなく校舎の窓ガラスをボールで割った。級友とシンナーを吸ったのも、この頃だ。

 「元々、人見知りで、他人となじめなかった。それでいて流されやすかったんです」

 暴力は苦手だったし、悪事にも抵抗感はあった。だが、悪友とつるむうちに倫理観は乱れていった。

 幼い頃からずっと、心のどこかに「寂しさ」があった。

 「それでなんか、家にいたくなくて」。思えば、ささいな理由だった。

 建設業をしていた父は猟が趣味で時折、イノシシやキジ、キノコをとってきた。3歳下の妹は何でも食べるのに、自分はそれが食べられなかった。

 スナックで働いていた母は夜、家にいなかった。

 そんな日常の一つ一つが、心に小さく刺さった。

 「なんで俺だけ違うんだろう」

 「自分は愛されてないのかな」

 引っ込み思案で口にはしなかったが、それが悪友と「なんとなく」一緒にいる理由だった。

 中学を卒業すると、高校には進まず、地元の暴走族に入った。

 「今日と明日が楽しければそれでいい、と思ってましたね」

 道を踏み外す決定的なきっかけは、覚醒剤だった。

 初めて使ったときのことを、よく覚えている。

 それは、人生を狂わせる、深くて暗い「沼」の入り口だった。【春増翔太】

(敬称略)

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