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きょうも響く笑い声 被災住民と知的障害者、同じ“居場所”の利用者

毎日新聞 2024年8月7日 13時0分

 「まあくん、どこに行くの。暑いから気をつけてね」。がれきの横を歩いて仕事場へ向かう、知的障害を抱える男性に、地域住民が優しく声を掛けた。能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県輪島市門前町にあるNPO法人を訪ねると、生活上の困難を抱える人たちと共に暮らす地域共生社会の実現に向けたヒントが見えてきた。【安西李姫】

 知的障害者らの居場所作りに取り組む、同町のNPO法人「夢かぼちゃ」。「まあくん」と呼ばれ親しまれていたのは、2013年の設立当初からこの場所に通い続けている本間政史さん(44)だ。仕事場は夢かぼちゃから徒歩約5分の輪島市役所門前支所で、他の利用者とともに週2回、用務員として清掃を担当している。10年以上続けてきた階段のモップ掛けの丁寧さは、職員からも称賛されるほどだ。

 夢かぼちゃには現在、8人ほどの利用者がいる。元日の地震で市外に避難した家庭もあり、地震前の半数に減った。利用者は門前支所での仕事に出掛けたり、販売するふきんや缶バッチを手作りしたり。作業場では利用者が店員となるカフェを開いており、地域住民がコーヒーを飲みにやってくる。週に1度の絵画教室では、地域住民と利用者が一緒に絵を習う。そんな光景は地震の前からずっと、夢かぼちゃのある総持寺通り商店街の日常だった。

 元日の地震では、10日ほどたって利用者全員の無事を確認できた。作業場のある建物は大きな被害を免れたものの、断水が3月上旬ごろまで続き、活動を再開できたのは4月1日。本間さんも当時を振り返り「またここに来たかったので、とってもうれしかった」と顔をほころばせる。

 「夢かぼちゃが閉じていた間、町で会う利用者の顔が暗くなっていくのが心配でした」。こう話すのは副理事長の井上治さん(69)で、地震を通して利用者の“居場所”となっていたことを再認識した。これまで日課だった仕事や作業がなくなり、避難生活の長期化につれて気持ちが落ち込んでしまう利用者も多かった。スタッフは作業場の復旧作業を進めながら、利用者のもとを訪ねたりテレビ電話で話したりすることで、つながりを保った。

 娘の好咲さん(32)も利用者の一人で、自宅は準半壊。断水が解消するまで約3カ月間、避難所での寝泊まりが続いた。ただ金沢市の親戚宅に身を寄せた際は、好咲さんが「帰りたい」と言い、1週間足らずで地元に戻ってきた。避難所生活の方がストレスが多いと思っていたため、井上さんも驚いたという。

 「思い返せば避難所で異質なものを見る目を向けられたり、嫌がられたりすることはなかった。地域の皆さんとは顔なじみで、本人も居心地が悪くなかったんでしょうね……」。避難所を運営する市職員とは、門前支所の清掃を通じて顔や名前も覚えてもらった仲だった。地域住民とも商店街の中や作業場で顔を合わせていた。地震の影響はまだ色濃いが、お互いに顔の見える環境に身を置くことが、本人たちの精神面にも良い影響があると感じた。

 能登半島も厳しい暑さとなった7月上旬、いつものように常連さんがやってきた。「ここで飲むアイスコーヒーは、冷たくておいしいんよ。随分となみなみに注いでくれたね」。夢かぼちゃにはきょうも、笑い声が響いている。

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